〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(6)
「〔傘山(かさやま)〕のお頭がどないかしやはりましたんか?」
御厩(おうまや)河岸前の茶店〔小浪〕の女将でもあり、さる盗賊の〔うさぎ人(にん)でもある小浪(こなみ 30歳)が、とつぜん、上方弁で訊き返した。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、ちらっと久栄(ひさえ 17歳)の顔色をうかがったが、わたしにはかかわりのない話題---とでもいうように、大川に目をむけて、船の下り上りをみているので、安堵して話した。
谷中八軒町の大東寺に押し入って、
「おれたちが〔傘山}の弥兵衛(やへえ 39歳)一味だったからこそ、ここにある340両を根こそぎでのうて、半分の170両をのこしておいてやんだぜ。ご坊、これに懲りて、鐘撞堂の建立の見積もり額の倍も集めるちゅう業突(ごうつく)張りは、もう、いっさい、やめとけ」
と説教をして去った---と銕三郎が、読み売り屋の〔耳より〕の紋次(もんじ 28歳)の言葉をそのまま伝えると、小浪が首をかしげて、
「越中生まれのお方らしゅう、用心深い〔傘山〕のお頭が、さような派手な科白をお吐きならはりはりまっしゃろか?」
「小浪どのは、〔傘山〕のを、ご存じ?」
「お目にかかったことはおへんけど、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 29歳)はんから、お人柄をうかがってますよって---」(歌麿 小浪のイメージ)
「〔大滝〕の五郎蔵---〔鶴(たずがね)〕の忠(助 ちゅうすけ 50歳前)さんから、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助どのの配下の小頭筆頭と聞いたことのある仁かな?」
「そうどす」
〔大滝〕の五郎蔵が感心して話したところによると、〔傘山〕の弥兵衛はあるとき、配下の者すべてに自由に使っていいと言って1両ずつわたし、10日後に、どう使ったかを答えさせたという。
それによって、親分・子分の縁をきることになる者、いつまでものこしておきたい者をみわけたというのである。
故郷元(くにもと)の親へ送ったという者が上。
貯めたという者が中の上。
おんなを買ったと答えた男と衣類に費ったのが中の中。
溜まっていた店賃(たなちん)を清算した者と、友だちと酒盛りをしたのは中の下。
博打に使った輩は下。
そういう格づけだったと。
「お金(たから)のありがたみィがわかってへん、下と中の下の盗人(つとめにん)は、ほどのう、畜生ばたらきに手ェそめると、いわはったいうのどす」
「ふーむ」
【参照】池波さんの金銭感覚について。2008年1月25日[〔荒神〕の助太郎] (5)
銕三郎の時代の貨幣について。2008年6月5日[お静というおんな] (4)
2006年10月21日[1両の換算率]
「それほど堅実味の塊のような〔傘山〕のお頭が、わざわざ、探索の十手先を一味に向けさせるようなお説教をなさるとは思えないのです」
たしかに、銕三郎にも割り切れなかった。
久栄がぽつんと洩らした。
「理由(わけ)があったのでしょう、元気だってことを示す---」
「え?」
「足を病んでいるって、おっしゃいませんでした?」
「そうか」
神田・和泉橋通りの大橋家へ久栄を送りとどけた銕三郎を、家では父・宣雄(のぶお 51歳 先手・弓8番手の組頭)が待ち構えていた。
火盗改メの経験がもっとも豊富な、先手・弓の2番手の筆頭与力・館(たて)伊蔵(いぞう 52歳)が、明日は非番なので、目白台の組屋敷で五ッ半(午前9時)に待っている、役すじの話でもあろうから、同じ組屋敷で、同心筆頭の杉田牛之助(うしのすけ 58歳)と、いまは隠居の身だが例繰方が長かった白石友次郎(ともしげろう 60歳)もひかえさせておく、とのことであった。
「父上。ありがとうございました。明日、時刻までに、かならず、伺います」
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