〔からす山〕の松造(2)
「お勝(かつ)、出てこい」
〔五鉄〕の店頭に積みあげられている薦樽にむかい、鋭く、低い声で銕三郎(てつさぶろう 26歳)がうながした。
暗い蔭から、ゆっくりとお勝(いまの名はお宮 みや 30歳)があらわれ、気まりわるそうに微笑みかけた。
「なにをしていた?」
「お竜(りょう 32歳)姉さんからの伝言(ことづけ)を、こちらの三次郎(さんじろう 22歳)さんへと、入りかけたら、火盗改メのお役人が出てきたので、驚いて隠れました」
「氷見どのと、よく、わかったな」
「出る前に、長谷川さまとの話し声で、そうかな、と---。これでも、〔狐火(きつねび)〕一味のお勝さんですから」
「大きくでたな。まあ、氷見どのの目にとまらなかった機転をほめておこう」
「長谷川さまに、初めてほめられました。うれしいし」
「それはそれとして、お竜どのの伝言というのは?」
「明日のお約束を2日ほど、延ばしていただきたいと---」
「なにか、不都合でもできたのか?」
お勝はしばらく黙ってうつむいて考えるふりをしていたが、眸(め)をあげたときには艶っぽい表情になっていて、
「おんなの例のものなんです」
銕三郎は、心配して損をしたといった顔で、
「なんだ、出歩けないほどなのか?」
「おかしいでしょ、お竜姉さんの例のもののときはひどいなんて---」
「そんなこと、男の拙にわかるか」
「でもそうなんです。それに、匂いを長谷川さまにかがれたくないんでしょ」
逆に、銕三郎の顔がすこし赤くなったが、さいわい、夜陰なのでさとられなくてすんだ。
もう、なんども記したが、お竜は、18歳のときからおんな男の立ち役できた。
その恋人役がお勝である。
ところが、お竜は、銕三郎に生まれて初めて自分のおんなにめざめ、身をまかせた。
【参照】2008年11月16日~[宣雄の同僚・先手組頭] (7)
「〔野田屋〕へ帰るのであろう。送ってやる。ちょっと、松造に断ってくる」
「松造さんって?」
「新しく、拙の下僕になった若者だ」
「長谷川さま。送りはなしにしてください。〔福田屋〕へ帰るのではありません」
「なんだ、他所泊(よそど)まりか。お竜のところか?」
「そうです。お世話をしないとなりません。それに、お竜姉さんから、長谷川さまには、いまの宿をお教えしないようにって言われているんです。奥方さまのところへ早く帰っておあげなさいませ」
「こいつ! それもお竜どのの伝言か}
「はい」
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