備中守宣雄、着任(2)
朝五ッ半(午前5時)をいくらかすぎた、まだ、暗いころあい、日課の鉄条入りの木刀の素振りをしていると、家士の桑島友之助(とものすけ 39歳)が、殿(宣雄 のぶお 54歳)がお召しになってておられます、と呼びきた。
「こんな早くに、お目覚めになったのか?」
「道中はずっと、その藩のご重役がお訪れになってもいいように、早くお起きでした」
「で、藩の重役は訪ねてきたのか?」
「いいえ、お一方も---」
「それでも、おやめにならなかったのか?」
「はい」
「桑島も、気苦労であったな」
(あの人の性格なのだ。先読みがすすみすぎている)
息が霜になるのではとおもうほどの寒気だが、銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、胸や背に汗をかき、頬にも幾筋もしたたっていた。
冷水で拭きとり、父・宣雄の部屋へ行ってみると、浦部源六郎(げんろくろう 50歳)と、もう一人、30がらみの初めてみる役人がひかえている。
浦部が、ご奉行のご用を承る執次(しつじ)役の与力・曲渕(まがりぶち)勝十郎(かつじゅうろう)と紹介した。
「曲渕と申されると、北町ご奉行の---?」
「あちらとは縁者になりますが、こちらは右府さまの事件のあと、京へ逃がれてひそみ、そのまま、西町奉行所へ奉公いたしました」
「ほう。山県衆の出でしたか。いつか、ゆっくりと、ご先祖の三方ヶ原での戦いぶりなど、お聞かせくだされ」
宣雄が見かねて、
「銕三郎、さような不急のことは、いまは措け。きょうの順路と、着るものなどの心得を聞け」
曲渕が控えの紙をたしかめにながら、四ッ(午前10時)に所司代・土井大炊頭(おおいのかみ)利里(としさと 51歳 古河藩主 7万石)の約がとれていること、ただし、銕三郎は目どおりがかなわず、公用人・矢作(やはぎ)喜兵衛(きへえ 38歳)が待っていること。
昼餉(ひるげ)のあと九ッ半(午後1時)に、上(かみ)の禁裏付の先任・天野近江守正景(まさかげ 70歳 300俵 1000石格 役料1500俵)を、今月は非番なので相国寺門前の役宅へ伺う。
本来ならば、格からいって、相役の東町奉行・酒井丹波守忠高(ただたか 61歳 1000石 1500石多格 役料600俵)を屋敷のほうに先に訪問するべきだが、今月は東は非番でもあり、朝早くから嵐山の奥のほうへ山女(やまめ)釣りにでかけているので、八ッ半(午後3時)にお待ちしているとの申し入れがあったのである。
「装束ですが、こちらは市中と公領地の仕置きが職務でありますから、お奉行のみ肩衣(かたぎぬ)、われわれは若もふくめて、羽織袴です」
「こころえました」
(赤=西町奉行所関連、緑=東町奉行所関連、青=所司代)
「町地図をご覧ください」
曲渕与力は、下手(しもて)を宣雄のほうに向け、新奉行ががよく見えるように置いたので、覗きこむようなかたちになった銕三郎へ、
「赤○が西町奉行所。その西側の赤半○が手前ども西町に勤めております与力・同心の住まいです。緑○が東町奉行所で、1町と離れてはおりませぬ。緑半○が東の組屋敷。
二条城の北にある青○が所司代の役所と役宅です。ここからざっと3丁(330m)とおおもいおきください。
浦部与力が、銕三郎にちらりと視線をなげ、
「二条城の南端から東へのびている通りが押小路(おしのこうじ)です」
「あいわかりもうしました」
返事を聞いて、浦部は意味ありげに微笑をもらした。
宣雄は、見ないふりをよそおっている。
「禁裏付の方々の役宅は、二条城から10丁(1.1km)東の御所の北と東の外にあります。北側のが上(かみ)、東のは下(しも)の禁裏武家と呼ばれております」
(禁裏付の役宅。上の緑○が上(かみ)、右下が下(しも))
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コメント
京都の東西の町奉行所、こんなに間近i位置していたんですね。
こうして、地図で示していただくと、改めて確認でき、今度、京都へ行ったら、せめて、宣雄さんが勤務していた西ぐらいは訪ねてみたいです。
投稿: tomi | 2009.09.03 06:04
>tomi さん
西町奉行所跡は、山陰本線の二条駅東口のまん前---中京中学がそうです。標識もでていますから、ぜひ、お訪ねになり、リポートをここへお寄せください。
投稿: ちゅうすけ | 2009.09.03 09:00