小普請支配
「こういうことも、書き記しておくと、ときには意外に役に立つ。これからは、書きものの時代じゃて」
長谷川久三郎正脩(まさひろ 63歳 4070石 小普請支配)は、別の手控え帳をもちだしてきた。
(たしかに、心覚えを書き留めておくことが、有能とみなされる時代なのかもしれないな。じつは、新しい着想が貴重とされなければなにも変わらないのだが---)
銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、あえて沈黙を守り、帳面をのぞきこんだ。
小普請支配は、役務についていない3000石以下の幕臣を統括・通達・小普請金の集金を行う。
もちろん、3000石から5000石級の大身旗本が任じられるから、本人たちがその実務を行うわけではない。
実務は、各組に1名ずつつけられている組頭や世話役が担当している。
支配は、毎月の6日、19日、24日に逢対日に組下の訪問を受け、就きたい役職の希望や特技、家庭の事情など面問しておく。
銕三郎も、遺跡を継いだら、その日から役務を任命されるまで、小普請入りすることになっている。
ひょっとして、叔父の長谷川久三郎正脩の組に入れたら重宝だなとおもわないでもないが、幕府がそういう安易を許さないとは覚悟していた。
12組の支配のリストを掲げる(内の年齢=安永2年)
1の組
有馬采女則雄(のりお 62歳 3000石)
宝暦12年(1762)6月1日 51歳 新番ヨリ
安永3年(1774)10月24日 63歳 仙洞付
2の組
久世平九郎広民(ひろたみ 42歳 3500石)
明和9年(1772)7月12日 41歳 使番ヨリ
安永3年(1774)2月8日 43歳 浦賀奉行
3の組
渡辺図書貞綱(さだつな 57歳 3100石)
明和8(1771)11月1日 55歳 使番ヨリ
安永4年4月12日 59歳 甲府勤番支配
4の組
奥田美濃守高甫(たかよし 42歳 3300石)
明和5年(1768)12月7日 39歳 新番組ヨリ
安永8年(1779)8月5日卒 48歳
5の組
牧野伝蔵成如(なりゆき 48歳 3000石)
明和9年(1771)10月26日 47歳 新番組頭ヨリ
安永5年(1776)11月29日卒 52歳
6の組
市橋大膳長能(ながよし 70歳 2500石)
宝暦12年(1762) 12月7日 59歳 使番ヨリ
安永3年(1774)9月24日 71歳 西丸留守居
7の組
岡野外記知暁(ともさと 54歳 3000石)
明和8年(1770)11月1日 50歳 使番ヨリ
安永5年(1776)10月15日 57歳 小姓組番頭
8の組
長谷川久三郎正脩(まさひろ 63歳 4070石)
明和8年(1771)9月28日 61歳 新番組頭ヨリ
安永3年(1774)4月21日 64歳 辞
9の組
長田越中守元鋪(もとのぶ 74歳 980石)
明和6年(1769)1月28日 70歳 普請奉行ヨリ
安永4年(1775)7月2日 76歳 辞
10の組
堀 三六郎直昌(なおまさ 55歳 2000石)
明和元年(1764)7月10日 46歳 使番ヨリ
安永3年(1774)10月24日 56歳 仙洞付
11の組
神尾若狭守春由(はるよし 54歳 1500石)
明和3年(1766)4月23日 47歳 日光奉行ヨリ
安永7年(1778)12月1日 59歳 西丸留守居
12の組
青山喜太郎忠義(ただよし 51歳 3000石)
明和8年(1770)6月15日 49歳 使番ヨリ
安永4年(1775)2月4日 54歳 断家
もちろん、正脩の手控え帳には、安永2年(1773)の7月までしか記されていず、退任・転任の記録は、ちゅうすけが別の史料から補った。
ちゅうすけの手控えファイルである。
『寛政譜』をコピーして一覧性を高めるためにA3に貼りなおし、二つ折りにしてA4サイズにそろえ、さらに半分を折り返ししている。
メモなどを貼りとめ、データを補強してもいる。
(ちゅうすけ作:安永2年在職の小普請支配12家の『寛政譜』綴り
色変わりの見出しラベルが9の組の長田家。引きだしたのは青山家)
名簿に目を通し終えた銕三郎に、
「銕(てつ)どのは、いまは亡き備中守(宣雄 享年55歳)が初めて小普請入りしたときのことを聞いておるかの?」
「幼少でございましたから、その後、なにかのおりに、柴田七左衛門康闊(やすひろ 50歳=当時 2000石)さま組であったと聞きました」
4年前の明和6年(1769)夏、麹町の栖岸院での柴田日向守(康闊)の葬儀に、宣雄が参列したことは、はっきりとおぼえている。
「その柴田どのの与頭(くみがしら)に朝比奈織部昌章(まさとし 54歳=安永2年 500石)と申す仁がいてな---」
「お待ちください。その朝比奈どのの屋敷は、小日向(こひなた)の服部坂(はっとりさか)の上---」
「よく、覚えていたな。その仁が、引きつづき、9の組の長田(おさだ)越中どのの与頭をしておってな---」
「お懐かしい。父からいわれて、小日向のお屋敷へ季節のごあいさつをとどけたものです」
「さすが、備中どの。ご念がいってござったな」
(長谷川久三郎正脩の個人譜)
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