« 銕三郎の跡目相続まで | トップページ | 小普請支配 »

2009.12.03

銕三郎の跡目相続まで(2)

「当主が没し、7月5日に跡目の相続を許されたのが9人。8月6日が17人---願いがでてから3ヶ月後じゃな」
眼鏡ごしに、長谷川久三郎正脩(まさひろ 63歳 4070石 小普請支配)が真面目くさった口ぶりでいうのを、銕三郎(てつさぶろう 28歳)も、控え帳をのぞいたことは伏せ、さも恐悦したふりで拝聴している。

正脩叔父ごどの。2件とも、跡目でございますな?」
「さよう。近年は、当主の致仕(退任)による家督相続願いよりも、当主の死による跡目願いのほうが多いな。しかし、銕三郎のところは、備中守どのが就任したばかりの京都町奉行を致仕というわけはない。とうぜん跡目ということじゃな」
「はい」

「家督だと、この8月22日に言い渡しの召し状がとどいているはずじゃ」
「受けておりませぬ」
「もちろん、そんな手違いがあるはずはない。家督の者9人が呼ばれておる」
正脩は、手控え帳をくり、もごもごと、つぶやくように読みあげた。


南部幸吉信由(のぶより 22歳 3000石)
養父・彦九郎信起(のぶおき 無役 致仕=同日)

佐野源之助政言(まさこと 18歳 500俵)
父・伝右衛門政豊(まさとよ 61歳 致仕=同日)

ちゅうすけ注】この佐野政言が11年後に、城中で若年寄・田沼山城守意知(おきとも 36歳)に刃傷におよび、切腹を言い渡された仁。
徳川実紀』は、この日の記述には政言の名をはずしている。

参照】2006年6月30日[美質だけを見る
2007年1月4日[平岩弓枝さん『魚の棲む城』] (
2009年2月12日[一橋治済の陰謀説

鈴木銕五郎之武(ゆきたけ 32歳 450石)
養父・市左衛門之房(78歳 致仕=同日)
など、父の家を継ぐ者9人。

この年、この日まで行われた相続を書き上げると、

2月11日(跡目)  1人
3月7日(跡目) 12人
3月16日(跡目)  2人
閏3月5日(跡目) 9人
4月6日(跡目) 10人
4月8日(家督) 21人
5月6日(家督)  6人
6月6日(跡目)  7人
7月5日(跡目)  9人
8月6日(跡目) 17人
8月22日(家督)  9人   

跡目が67人、家督が36人で、銕三郎の感想は当をえている。

このあとは、
銕三郎も召された、
9月8日(跡目) 13人
10月7日(跡目) 16人
11月5日(跡目) 15人
11月29日(家督)21人
12月6日(跡目) 10人
12月27日(跡目)26人

前段のに加えると、跡目が147名、家督が57人。
総計204人。

目見(めみえ)以上の幕臣は『寛政重修諸家譜』に5000家以上が載っており、ほとんどすべての家が家禄を引き継ぐとして、5000家を200人で割ると、25年で世代交代がおこなわれるといえる。

人生50年と見て、25歳で家督し、50歳前後に嫡子か養子に継がせるわけだが、末期跡目相続が多いということは、現職に執着している当主がふえたといえるかもしれない。

もっとも、安永2年の1年間だけの数字で結論してはいけないが---。

「拝察したところ、月の上旬のお召し日は、5日から8日のようでございますな。としますと、拙が召されるのは9月のそのあたりと、心のそなえをいたしておきましょう」
「そのつもりでいれば間違いなかろうよ」

「ところで、正脩叔父ごどの。わが家は両番の家柄とはいえ、跡目を継いですぐは、とりあえず小普請入りでありましょう。叔父ごどのの組に入れていただけましょうや?」
「そうはいくまい」
「どのような方々が、いま、小普請支配にお就きでございましょう?」

          ★      ★      ★

_360

池波正太郎の世界 1 鬼平犯科帳1』が、湯気をたてて、朝日新聞出版、分冊百科編集部から送られてきた。
この春ごろ、企画を聞かされ、ほんのちょっとしたお手伝いをしたためである。
そろそろ、出るころかな---と、書店の前をとおるたびにのぞいてみていたのだが---。

30冊すべての表紙絵は中一弥翁が筆をおふるいになるらしい。たいへんな壮挙だ。
来年は、池波さん没後20年ということで、多くの出版社で腕によりをかけているらしい。

池波ファンにはうれしい年であるとともに、財布が痛い年にもなりそうな。
いまから、節約をこころがけねば。

|

« 銕三郎の跡目相続まで | トップページ | 小普請支配 »

099幕府組織の俗習」カテゴリの記事

コメント

跡目と家督の違いがよく分かりました。

投稿: tuuko | 2009.12.03 03:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 銕三郎の跡目相続まで | トップページ | 小普請支配 »