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2010.02.23

日光への旅(2)

越ヶ谷宿はずれでの事件からあとは、その日の泊まりの粕壁宿(かすかべ 現・春日部)まで、なんのこともなくすぎた。
3人は、まだ明るいうちに、本陣〔高砂屋〕彦右衛門方の向いの旅籠〔藤屋〕にわらじを脱いだ。

部屋は、太作(たさく 62歳)と松造(まつぞう 22歳)が相部屋、井関録之助(ろくのすけ 24歳)は別部屋であった。
録之助は、夕食をことわり、
「道場で相弟子だった、本陣の次男坊と会ってくる」
本陣へ通じている道へ消えた。

季節はずれとみえ、本陣には大名一行はなく、役人らしいのが数組宿泊していた。
刺を通すと、次男坊は、本陣から2丁ばかり南へ寄った中宿の脇本陣格の〔高砂屋別館〕の差配をしているとのことであった。

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(粕壁宿 左緑○=本陣 右緑○=脇本陣
道中奉行製作『日光道中分間延絵図』部分)

道場では、録之助からよく教えられていたのである。
年齢も近く、気もあった。
家から送られてくる充分な金でよく、いっしょに遊んだ。

それが、高杉道場が閉ざされて10ヶ月ほどなのに、24か5で、脇本陣の若亭主である。
(親にめぐまれると、亀之助のように、若くして一家をかまえられる。ひきかえ、30俵2人扶持のご家人の父親、しかも妾腹のわしときたら---)
さすがに録之助もしょげたが、ともかく、〔高砂屋別館〕の戸口に立った。

と、仕切り枠からこっちを見ていた亭主・亀之助(かめのすけ 25歳)が、
井関さん」
転げるようにとびだしてきた。


旅籠の奥庭の塀の外に、亀之助の住まいが建てられていた。
高杉道場の3倍はあるではないか」
感嘆の声をあげると、
「このあたりでは、土地はただみたいなものですから---」
それでも亀之助は小鼻をうごめかした。

酒になった。
こんどの日光行は、長谷川先輩の指示によるものだと打ちあけると、
銕三郎先輩は、京都からお戻りに---?」
初めて知ったらしい。

そこで、京の町奉行だった備中守宣雄(のぶお 享年55歳)の病死のことや、跡目相続をして平蔵名を襲名していることなどを話してやると、感にえた口調で、
長谷川先輩と、岸井先輩は天性の剣技をおもちだったからなあ」
「おいおい、それではおれの剣技が一段劣るといわれているようで、おもしろくないぞ」

長谷川先輩を剣魔とすれば、井関さんは剣鬼といったところでした」
亀之助のあわてぶりに笑いあってすませたが、越ヶ谷はずれで掏摸たちをこらしめた話をすると、亀之助はとたんに真顔になり、じつは、日光道中の古利根川の手前を左に折れた寺町通りのすぐの普門院が無住寺になったのをいいことに、浪人たちが住みついて、なにかと悪さを重ねている。
宿場役人も、相手が悪いと手をださない。

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(左赤丸=普門院 右緑○=本陣 同上)

「どうでしょう、井関先輩。こらしめて、追っ払うわけにはいかないでしょうか」
平蔵から、こんどの旅では太刀を抜くことを禁じられているから、鉄条入りの木刀で傷めつけるとしかできないが、
「追っ払うといっても、また帰ってきて、さんがけしかけたとわかると、ここがあぶなくなるよ」
「わたしも、嫁を迎えたばかりだから、それは困るなあ」
「いっそ、長谷川先輩に飛脚便をだして、平蔵さんの知り合いの火盗改メに出張ってもらってはどうだ?」
「やってくださるだろうか?」
「亀さんは、宿場のお偉いさん方へ奉加帳をまわし、火盗改メの出張り賃を集めるのだな。火盗だって、ゼニには弱いのもいるだろうよ。だが、飛脚便は、ここの問屋場をつかってはだめだ。まさかのときにバレる。そうだ、わしが飛脚賃と文を預かって、古河(こが)宿あたりから托すというのはどうだ?」

話がきまり、録之助はちゃっかり、倍の飛脚賃を預かった。

翌朝、宿を発(た)つとき、番頭に平蔵あての亀之助の書状に自分の分を添えたのをわたし、
「江戸への飛脚賃は、いかほどかな?」


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