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2010.05.16

鎗奉行・八木丹波守補道(みつみち)(2)

(気の遣い方、話題のさばき方からいって、八木丹波どのは、なかなかどうして、みごとな苦労人だ)

茶寮〔貴志〕までは、八木邸から南への一本道である。
陽脚(ひあし)がのびてきているとはいえ、小雨が熄(や)んでいないので、通りは薄暗い。

17年も甲府への山流しにあっていながら、3人の側女(そばめ)をものにしていたのも隅におけない。
息・十三郎(とさぶろう 38歳 無役)が洩らしたところによると、それぞれのおんなの家柄は、武田家にゆかりが深かった者たちで、家康の誘いを断わり土着していた。

そのうち、甲府宰相・綱豊(つなとよ のちの 家宣 いえのぶ)の桜田の館に召された能才の士も少なくなかった。

丹波守は、おんなたちをその縁家からえらんだという。
つまり、勤番支配の職務の一助でもあり、柳営の要所々々に配されている武田派の声望も期待できた。

丹波どの深謀に比すると、おれは、かかわったおんなたちに、代償など求めたことはない。いや、まて、だから、おれのほうが純粋だったといえるのではないか)
(30男のおんな狂い、か)

右手に鬱蒼とつづいている3番火除け地の中ほどでおもわず自嘲の笑い声を発し、気がついた。
茶寮〔貴志〕へ行くのではなかった、御宿(みしゃく)稲荷脇の里貴(りき 31歳)の住まいで待つ約束であった。
左へ折れ、錦小路へ。

錦小路から御宿稲荷はすぐだが、それだと〔駕篭徳〕の前を通ることになる。
権七(ごんしち)の〔箱根屋〕から詰めている加平(かへえ 26歳)や時次(ときじ 23歳)の目にとまってはまずい---それで、いちど堀端まで出、そこから稲荷へと歩いた。

表戸の鍵をあわせようとして、5分(1.5cm)巾ほど、灯がもれていているのに気づいた。
「なんだ、帰っていたのか」

里貴は、もう浴衣に着替え、前を大きくあけて、独酌している。
仕事着で躰を締めつけているので、自分の家ではすべてを解き放ち、裸でいることもあると言っていた。

この雨で、客が早めに引きあげたのだと説明しながら、
「ですから、一刻もおしくて---待つのって、時刻がいじわるしているようにゆっくりになるんですね」

胸元も下腹も丸見えであった。
さすがに紅花染めの腰巻はつけているが、右足を立て膝にしているので、奥の茂みが平蔵(へいぞう 30歳)の側からのぞけた。

透けるほどに白い肌だけに、芝生の黒が目立つ。
(高杉先生がおっしゃっていた中墨(なかずみ)がこれとは---)

剣術でいう中墨は、躰の中心線のことであり、内股の黒い芝生ではない。
平蔵は、視線をそらせた。

白い肌も、うっすらと桜色に染まっていた。
よほど前から呑んでいたらしい。

平蔵に茶碗をわたし、注ぐ手がふらついていた。
あわてて徳利を取り上げた。
「それほどまでに呑んでいるのは、珍しいな」
「だって、銕(てつ)さまのお越しが遅いんですもの」

ここで、約束は六ッ半(午後7時)だったぞ、などと言いたてては痴話喧嘩になりかねない。
(三歩退け)
いまは亡き先生の声が聞こえた。

「向こうの部屋まで、抱いていってやろう」
「寝衣と腰巻を脱がせて---」
甘えた。

酔うと、おんなは淫らな本性をあけすけにあらわす。


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