〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂(2)
松造(まつぞう 25歳)が、平蔵(へいぞう 31歳)の宿直(とのい)をこころ待ちにしていることに気づいた。
屋敷の者にたしかめると、その夜は帰ってこず、早朝に戻るらしい。
(禁制の賭けごとにふけっているとはおもえぬ。おんなができたかな)
用人・松浦与助(よすけ 60歳)にいいふくめた。
「宿直の日、西丸の門の近くで見張って、後ろを尾行(つ)けさせてくれ」
尾行は、屋敷の者では気づかれるだろうから、深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕権七(ごんしち 44歳)に相談をかけるように。
松造が顔をあわせていない舁き手といえば、加平(かへえ 26歳)か時次(ときじ 24歳)だ---ぐらいのことは、権七のことだから心得ておろう。
柳原岩井町の木戸裏の長屋で、手習いから戻ってくる子どもたちのお習(さら)いをみてやったりしながら夜まで刻(とき)をすごしていること。
相手がお粂とわかり、平蔵は、自分とお仲(なか 元の名はお留 とめ 33歳=当時)とのなれそめを思い出した。
【参照】2008,年8月7日~[〔梅川〕の仲居・お松] (7) (8)
(おれ22歳、お仲33歳。性技に長(た)けた指南師に出会うと、経験の浅い若い男はひとたまりもない。しかし、大年増から教わると上達が早いとは、よくいったものだ。いまの松造が当時のおれだ)
(おんなができ、金に困ると、むかしの手ぐせがでるやもしれない)
宿直の日を同輩に替わってもらう手配をし、下城の帰りに深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕権七(ごんしち 44歳)のところへ立ちよった。
〔耳より〕の紋次(もんじ 33歳)と、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 49歳)にも声をかけてあった。
平蔵が、田沼(意次 おきつぐ 58歳 老中)侯の息がかかった茶寮〔貴志〕が店じまいし、女中頭・お粂のつぎの働き口を小頭・〔於玉ヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく 35歳)に頼み、薬研堀(やげんぼり)不動前の〔草加屋〕安兵衛方の女中頭助(すけ)におさめてもらったこと。
〔草加屋〕では、お粂の〔貴志〕での客筋が利用してくれるのを期待しているらしい。
次の元締衆の集まりを、〔草加屋〕で開いてもらえないか、と持ちかけた。
重右衛門がすぐに賛同し、われわれの顔ぶれでは田沼侯の知り合いというわけにはいかないが、火盗改メ方から手札をいただいているのだから、お上とかかわりがまったくないというわけでもない。
〔化粧(けわい)読みうり〕がこんどの板で、ちょうど20板目になる、そのお祝いということにして、集まってもらおうと、決めた。
翌朝。
朝帰りしてきた松造を書院へ呼び、
「気をつけてはいるであろうが、お通(つう 9歳)と善太(ぜんた 7歳)の耳もある。母親のそうしたことには、子どもは敏感なものだ。しかし、お粂の勤めの時間のこともあろうから、出会茶屋や船宿というわけにもいくまい。どうであろう、2軒つづきの長屋に引越し、1軒にお前が住むというのは? もちろん、長屋からここへ通うのだ」
「もったいないほどのお指図です。ですが、お許しをいただけるのであれば、お暇を頂戴し、子どもたちといっしょに暮らしたいとかんがえておりました」
「暮らし向きは、どう立てるつもりか?」
「〔草加屋〕かどこかの下働きでも---」
「子どもたちの誇りにさしさわるから、それは、ならぬ。松造は、本気でお粂と添いとげる気なのだな?」
「はい。そう決心させたほど、いいおんななのでございます」
「わかった。仲人は松浦用人に頼んでやる。これできまった。〔銕(てつ)お父(と)っつぁんは、銕おじちゃんになり、松おじちゃんが松お父っつぁんに早替わりするのだ」
【参照】2010,年6月27日~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] (1) (3) (4)
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コメント
松造とお粂のコンビですか。
異質の組み合わせみたいですが、そのほうがうまくいくのかも。
そういえば、井関録之助とお元のコンビも10歳以上の年齢差があったのに、けっこううまくいってました。
録之助は、その後上方へ行ったようですが、どうしているんでしょうね。
聖典で、天王寺あたりで道場をひらいたのはもっとのちのことのようですね。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.06.30 10:17