寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(4)
「どうしても、宇都宮へご出役いただくわけには参りませぬか?」
宇都宮藩の寺社吟味役の石原嘉門(かもん 38歳 80石)が訊いた。
毛深いたちらしく、鬢(びん)から下あごまで剃りあとが青々としている。
平蔵(へいぞう 33歳)は、ふっと、[蓑火(みのひ)]の喜之助(きのすけ 57歳)配下の[尻毛(しりげ)]の長助(ちょうすけ 34歳)を思いだしていた。
「いや。そうではなく、鳥居伊賀(守 忠意 ただおき 62歳 壬生藩主)侯へも、拙の上司である水谷(みずのや)伊勢守'(勝久 かつひさ 54歳 3500石)番頭にも通じておきましたとおり、火盗改メ・土屋(帯刀守直 もりなお 45歳 1000石)さまのお声がないかぎり、うごくわけには参らぬのです。石原さまもお役人なら、そういう手順の大事さは充分におわかりと存じますが---」
平蔵の下城を待っていたように訪ねてこられたので、ひとまず、菊川橋脇の酒亭〔ひさご〕へちみびき、酌(く)みかわしながらの話しあいであった。
「曲師(まげし)町の松岩寺の件は、寺社ご奉行・戸田因幡(守 忠寛 ただとを 41歳)侯の耳目として、虚無僧たちに天下の風聞あつめを助(す)けさせることで解決したのではごありませぬか?」
酌をしとてやりながら、平蔵が低めた声で、嘉門の耳元にささやいた。
【参照】2008年10月30日[ちゅうすけのひとり言] (27)
「あ。手前のお願いは、そのこととは別の儀で、鳥居伊賀(守 忠意 ただおき 62歳 壬生藩主)侯からすでにお耳へはいっておると早合点しており、失礼しました」
石原寺社吟味役は、
「ここだけの話として聞きながしていただきたいのだが---」
前置きし、
「2年前の安永5年(1776)4月の将軍の日光山参詣のために、道中筋にあたる村むらの働き手は、道路の整備に駆りだされ、村がすっかり疲弊・荒廃したのです」
「そのことまでは聞いていなかった。成功裡に終わったとおもっていた」
「村むらの疲弊・荒廃には、失礼ながら、長谷川さまも一役買っておいでです」
「拙の西丸組は、大納言(家基 いえもと)さまが参列なさらなかった---」
「大納言さまは、かかわりありませぬ」
「------?」
「麦畑の畝を道に竪(たて)にするようにご進言さったのは、長谷川さまと、もれ承っております」
「------?」
そのために、村人たちは、1ヶ月も助郷(すけごう)働きをさせられました」
「あっ---」
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コメント
西尾忠久様
突然の書き込み、失礼いたします。
わたくし、編集プロダクションをしております、株式会社アッシュの上村倫行と申します。
現在弊社では「鬼平犯科帳」に関する雑誌を制作しており、そのなかの一項目で、現在、松平定寅に関する誌面を構築しております。しかし松平定寅は肖像画はもちろん、関連する絵素材というものが皆無の人物で、誌面案に悩んでおります。そこで、西尾様にご相談させて頂きたく思い、ご連絡させて頂きました。西尾様のブログでは、松平定寅の墓の写真が掲載されておりますが、もし可能であれば、特定の寺院の住所を教えては頂けないでしょうか?さらに無理を言うようで大変恐縮なのですが、そのお写真をお借りすることは可能でしょうか?
長文メールにつき、恐縮至極ではございますが、何卒、御高配を賜りますようお願い申し上げます。
株式会社アッシュ
上村倫行
投稿: 上村倫行 | 2010.10.19 17:46
松平左金吾定寅についてお知りになりたい場合は、このブログの最初の画面右枠の検索の「ブログ全体から」を↓をクリックして「このブログから探す」になさり、「松平左金吾定寅」と検索言語をお入れになりますと、ぞろりとでてくるはずです。
編集企画のご参考になればさいわいです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.20 15:31