勘定見習・山田銀四郎善行(3)
「お互い、身の上話は措(お)き、本題の暮坪(くれつぼ)の小里に話題を戻そう。拙がこの小里に興味をもったのは、さる男にかかわったためでな」
平蔵(へいぞう 33歳)は、寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを 41歳 宇都宮藩主 7万7000石)の奇妙な盗難事件の顛末をかいつまんで語り、その犯人とかかわりがあるらしい暮坪育ちで、山師をしている男のことを知りたいのだと打ちあけた。
「そういうことですと、残念ですが、魚沼郡(うおぬまこおり)のほうの長森村字(あざ)暮坪は放念しなければなりませぬ」
「?」
平蔵の表情を察した勘定見習い・山田銀四郎善行(よしゆき 36歳 150俵)が、さらに話そうとするのを、酌をしてやり、
「まずは、目の前の軍鶏をたいらげてからのことにしようではないか」
「長谷川さま---」
銀四郎が、箸を置き、口の中のものをすっかり嚥下してから、呼びかけてきたのを見、平蔵は、
(おや---?)
改めて、銀四郎を見直した。
口へあてる箸先を手前に、頭を向かいの平蔵の側へそろえたのであった。
鍋越しに瞶(みつ)め返すと、
「歯ごたえが、並みの鶏と違います。もっともわが家では、並みの鶏もめったに口にしませぬが---」
「お口にあったかな?」
「申すまでもなく、生まれて初めての珍味でございます」
「重畳」
しばらく鍋をつつき、平蔵のほうから呼びかけてみた。
「山田うじ---」
銀四郎は、さきほどと同じく、汚したほうを手前に向けて置き、平蔵の言葉を待った。
その所作はなめらかであった。
「つかぬことを伺うが、山田うじのその箸の休めようは、どこのお仕こみかな?」
銀四郎は、きょとんとして置いた箸に視線を落とし、
「なにか、不調法を---?」
「いや、そうではない。まことに礼にかなった箸の休め方ゆえ---」
「実家の母から躾けられました」
「実家---?」
銀四郎は養子であった。
そのことは、当時の幕臣としては珍しくもなんともない。
継嗣がいないと改易になるので、かならず、養子を迎える。
服部家の3男に生まれた銀四郎は、役方(行政畑)の山田家の養子に入った。
しかし、常の養子ではなかった。
2歳年長のすぐ上の兄・藤蔵(とうぞう 享年19歳)が、21年前に山田清三郎正尚(まさなを 享年33歳)の末期養子に入ったが、1年を経ないで病没し、その時に17歳であった銀四郎がただちに後継養子となり、家禄をついだ。
めったにない、兄弟養子であった。
それはそれとして、2人の実母は、同朋(どうぼう 茶坊主)・池田貞阿弥(ていあみ)のむすめで、所作の礼法・運筆にきびしかったという。
「わが家には、そのような礼法をき究めたものがおらぬ。いかがであろう、拙の息・辰蔵(たつぞう 9歳)を山田うじのところへ通わせるゆえ、仕こんでいただけまいか。お住まいがニッ目の弥勒寺の裏ということであれば、近までもあるし---」
銀四郎の返事は、自分より、実母(67歳)が長兄(造酒次郎保好 やすよし 47歳 100俵5人扶持)のところに現存している。
実母からじかに学んだほうが間違いがなかろう。
住いは山田家と脊中あわせであるから、通う道筋も同じであると。
(本所ニッ目橋南 弥勒寺浦の服部家 山田家は同敷地内)
【ちゅうすけ注】辰蔵は、もちろん、剣術や弓術、馬術なども学んだが、この礼法のせいで出仕後、両番の家がらにもかかわらず小納戸組で大いに重宝され、山城守にも叙されている。
(実家・服部家の善行の個人譜)
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コメント
箸先を手前に置く---なるほど、向いあって食事をする場合には、理にかなっています。
和式では、自分の体に平行とおもっていましたが、洋式の四角いテーブルや中華の円形テーブルだと、和風の箸置きだと箸先がだれかのほうへ向いてしまいます。
口へ運んだ箸先を自分のほうへ向けておけば、どなたにも不快感をあたえませんね。
ひとつ、勉強になりました。
投稿: 文くばりの情太 | 2010.11.02 05:42
銀四郎の養子先の山田家も実家の服部家も〔五鉄〕に近い弥勒寺裏ということで、服部家の切絵図が示されました。
いつも、火盗改めのだれそれの役宅はどこそこと記されていますが、どのようにしてお調べになっているのですか?
投稿: tomo | 2010.11.02 06:10
>文くばりの丈太 さん
かつて、陸軍幼年学校で躾けられました。
どこかの国---たぶん、ドイツあたの礼式をアレンジしたのだと思います。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.02 07:15
>tomo さん
手元の小川恭一さん著『江戸幕府人名事典 全5冊』(原書房 1989)に拠っています。小川さんの解説によると、国会図書館蔵の『寛政呈書万石以下御目見以上国字分名集』からとったと。
そのときの呈上書に住所欄もあったのだそうです。
山田家は、そのころ、服部家の敷地内に仮住いしていたようで、拝領屋敷は本所石原片町とあります。
石原片町は、池波ファンには『男の秘図』のヒーロー、徳山(とくのやま)五兵衛の屋敷の裏側です。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.02 07:35