医師・多紀(たき)元簡(もとやす)
「すぐさま、贄(にえ) 越前(守)どののご役宅へおもむくように---」
呼びだされた平蔵(へいぞう 35歳)が 控えの間へあらわれると、西丸書院番4の組の与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 60歳 800俵)が告げ、用意してあった通用証をわたした。
今年にはいり、上の左の前歯がさらに欠けたらしく、言葉の切れがいっそうにぶくなっている。
息・千助勝昌(かつまさ 20歳)は3年前に初見をすませ、いつでも家督できるのに、当人は隠居する気はさらさらないようだ。
平蔵が退出しようとすると、呼びとめ、
「〔季四〕で、与頭の会合をもちたいのだが---部屋は抑えられるかの?」
予定日は、半月も先であった。
下城の道すがら---と応じようとし、思いとどまった。
「明日の七ッ(午後4時)に鍛冶橋下に黒舟を待たせておきますから、ご自身で下見に行かれてはいかがでしょう? 女将も喜びましょう」
「そうじゃの」
牟礼与頭の皺の多い頬がゆるんだ。
火盗改メの組頭・贄 越前守正寿(まさとし 40歳 300石)の居宅兼役宅は、九段坂下の堀に架かっている俎板(まないた)橋西詰であった。
とっさに判断し、桜田門を抜け、さいかち河岸から千鳥ヶ渕、九段坂の、人家を避けた道順をとった。
それは、昨夜読んだ『医心方 房内篇』の写本の出回りについて、考えごとをするためであった。
堀ぶちの柳樹がかなり芽ぶき、細い枝々のすき間をふさいでいた。
〔耳より〕の紋次(もんじ 37歳)は、初音ノ馬場脇の〔三ッ目屋〕が、『房内篇』の写本を売っているといっていた。
今朝、早めに起き、日課の鉄条入りの木刀の素振り300回を150回で切りあげ、昨夜、途中で読むのをやめた「第五章 臨御」---一事におよぶ前---(前戯)とでもいう章のつづきを開いた。
女性の丹穴(たんけつ)に淫液がこぼれるほどに満ちてきたら、すぐに陽棒を挿しいれ、たまらず精液を射(う)てば、双方の性液が丹穴の奥、襞という襞のすみずみでまじわりあい、女性は幽玄の極地に酔いしれる。
(丹穴のことを、里貴(りき 36歳)は、いま「見ておる芝生の真ん中の竪(たて)の割れ目を指で開くとあらわれる深い渕---」といったが、里貴の芝生はうすいが、絹糸のように細く艶やかだ)
陽棒を進退させながら、躰を接触させたり刺激したりしていると、女性はたまらず、〔死ぬ」とうめき、「どうかなっちゃう、助けて---」とうわごとを口にする。
そこまで読んだところへ、久栄(ひさえ 27歳)が朝餉(あさげ)を持った召使いをしたがえ、意味ありげな笑みをうかべたが、何げないふりで閉じ、手文庫に秘蔵した。
しかし、久栄のことだ、いまごろ、手文庫から出してのぞき読み、躰を熱くしているであろう。
(今夜は、危険かも---あとの2冊は戸袋へ隠しおいたが、「第五章 臨御」は携行すべきであったな)
贄 邸には、盗賊に襲われた躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の多紀家の嫡男・元簡(もとやす 26歳)が呼ばれていた。
(移転後の医学館=緑の○と隣接した多紀家居宅 尾張屋板)
【ちゅうすけ注】『医心方巻二十八 房内篇』ついては槇 佐知子さん訳の筑摩書房版を参考にさせていただきました。
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コメント
どうやら、『房内編』の暗いマックスをご披露くださるおつもりのようですな。老生としては、期待十分、虎視眈々ですぞ。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.12.18 07:41
『房内篇』ですが、「房内」は閨室--つまり房事(男女の睦み)を行なう部屋との意味であり---それを、垣間(かいま)のぞく興味もないではありませんが、なにせ、いにしえの医術の書ですから、すごく真面目に記述されています。ご期待に添えればいいのですが。
そうそう、近いうちに、[好女]の章の和訳を掲示します。[好女]とは、美人のことではなく、床(とこ)上手というのでしょうか、寝屋でのいいおんなと評価されてきた女性のことです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.18 19:37