奈々の凄み(2)
「九折板(クルジョパン)はわかったが、どうしてもわからなかったのが、松の実(み)粥(かゆ)とマッコリだ。紀州から取り寄せる暇はなかったはずだ」
亀久町の家で待っていた平蔵(へいぞう 40歳)が、あとを追うように帰ってきた奈々(なな 18歳)に問いかけた。
「待って。着替えて落ち着かせて---」
閨(ねや)にしている次の間で、腰丈の桜色の閨衣(ねやい)をはおり、独酌している平蔵の冷や酒の小椀をひったくるようにして一気にあけ、
「ああ、おいしい。ずっと張りつめていたん。しんどかったわぁ---」
「ご苦労であった。あれほどみごとにやってくれようとは、じつは、おもっていなかった」
「お大名はんたち、満足そうやったね」
「満足どころか、大満悦であった」
「よかった。これでも、蔵(くら)はんのためにと、必死やったんよ」
「礼をいう」
「礼は、里貴(りき 逝年40歳)おばはんにゆうてあげて---」
里貴も、いつかは〔季四〕で朝鮮料理をだすことを考えていたらしい。
庭の物置に朝鮮白磁などの食器や銀の箸、円卓をしまっていたのを、奈々が見つけておいた。
その中に、貴志村からとり寄せておいたけっこうな量の松の実があったという。
その松の実を前に、平蔵が日野宿へ旅している日々、板場の百介(ももすけ 21歳)と女中頭のお夏(なつ 20歳)、寮長並(なみ)のお秋(あき 19歳)、それに躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の医師・多紀安長元簡(もとやす 31歳)の妻で貴志村育ちの奈保(なほ 22歳)らが鳩首、献立をねった。
里貴が躊躇していた理由(わけ)も解けた。
朝鮮と異なり、この国では鶏や鳥類と野うさぎのほかの獣の肉を食することが禁忌されていたから、献立の幅が狭かった。
松の実も、紀州・貴志産だけでは、店用がまかなえそうもなかった。
「今宵の話では、高崎侯(松平右京亮輝和(てるやす 36歳 8万2000石))が栽培に乗り気のようであったが---」
「蔵はん。松樹が一人前に育ち、実ィが採れるようになんの、20年も先」
「むすめが15歳でややを産むのとはわけが違う---」
「うちは、もう、18歳や。いつ、孕んだかて、おかしゆうない---」
「おいおい、できたものは仕方がないが、お手やわらかに頼むよ」
そうはいいながら平蔵は、奈々というむすめの着想の非凡さに凄みを感じていた。
脈絡がないようでいて、突拍子もないところへ着地している---。
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コメント
奈々さん、すごい魅力。愛する男のために、コケティッシュに振る舞い、馬の月魄のおちんちんにキスするなんて奇想天外。それていて、知恵をだしあい朝鮮料理を難なく創ってしまう。
18歳といえばいまなら未成年扱いですが、どうしてどうして、立派な成人女性(性尽女性?)。これからもしばしば登場して私たちにハッパをかけてください。
投稿: tsuu | 2011.10.22 06:23
>tsuu さん
奈々は、平蔵がそれまでに体験したことないタイプの女性です。いってみると、いい意味での幼女のあどけなさ、愛らしさ、怖いものしらずをのこしながら、頭脳と躰は一人前のおんなになっているといえましょうか。
脚が長いところも、当時としては日本人ばなれしていたようです。小顔もかな。
武士というより、経営のわかる近代的な吏僚へのあゆみをつづけている平蔵に添いながら、自分を高めていっています。
奈々のいいところをいちばん知っているのが月魄かもな。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.22 08:52