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2011.12.20

お通の祝言(3)

祝言は、当時の江戸庶民としては型やぶりで、今戸の〔銀波楼〕で六ッ(午後6時)から行われた。

花婿・弘二(こうじ 22歳)の母親・お(のう 44歳)は、嫁取りなのだから近所への手前、石原の家ですべきだと自分のときのことを引きあいにだしたが、幕臣・徒の組頭の長谷川さまに申しわけないと弘二が我意を通した。

近隣へは祝言の翌日、花嫁とともに引き出物を配ってまわることで納得した。
は条件として、父親代わりに〔美濃屋〕の隠居・墨卯(ぼくぼう 52歳)の出席を認めさせた。

墨卯はなんと、町内の古老らしく、紋付羽織であらわれた。

花嫁・お通(つう 18歳)の側の顔ぶれは、お(くめ 44歳)、その夫・松造(よしぞう 34歳)、弟で浅草·諏訪町の墨·筆·硯問屋〔平沢〕の住みこみの手代・善太(ぜんた 16歳)の家族のほかは、肩衣(かたぎぬ)の平蔵(へいぞう 40歳)と奈々(なな 18歳)、(箱根屋)の権七(ごんとしち 53歳)とお須賀(すが 48歳)夫婦、〔耳より〕の紋次(もんじ)、花嫁の化粧をうけもったお(かつ 44歳)、御厩の渡し舟の舟頭2人。

花婿側は母親と墨卯のほかは、木灰の仕入れ先の神田花房町の薪炭問屋〔稲城屋〕と湯島坂下の刷毛問屋〔江戸屋〕の番頭の2人だけであった。

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(〔江戸屋〕刷毛問屋 花婿側の仕入れ先 『江戸買物独案内』)


それと、媒酌人の小浪(こなみ 46歳)・今助(いますけ 38歳)。

小浪が型どおりに2人のなれそめを京言葉で披露し、これからのつきあいをお願いし、あとは各自が料理に専念した。

平蔵の前にあいさつにきたおに、
「ややができるまで店にでるとして、早く善太の嫁をみつけて後をつがせないとな」
「まだ16歳でございますからねえ」
「16は立派な大人だ。お店者(たなもの)は早いというから、もうおんなをしっていよう」

五ッ半(午後8時)前、小浪弘二たちをうながし、今助墨卯に念を入れた。
「今夜はおさんをそちらさんで泊めてやっておくんなさい」

迎えの屋根つき黒舟で石原橋へ舟が着くと、小浪墨卯とおをうながして先へやってから、舟頭と弘二にそのまま待つようにいい、提灯に灯を移し、おと2人で陸(おか)へ消えた。

石原の家で、桜色の薄い閨衣(ねや)着替えるところまで見とどけ、敷かれていた布団の枕元のはさみ紙の分量をたしかめ、おの尻をぼんとうち、
「うまいこと、やりや。あんじょう、いくって---」

おそらく、鋭い棘(とげ)がささったようにみじめだった自分の処女喪失のときのことを想いだし、おの満ち足りた初夜を祈念したのであろう。

参照】20081210[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] (

独り合点して舟へ戻り、弘二へうなずき、
「花嫁はん、待ってはるよって、いそぎぃ---」

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(清長「睦み」 イメー゜ジ)

弘二は、2日前の医師・多岐安長元簡(もとやす 31歳)による、初夜の男の所作を反芻していたろう。
あの夜は隠していたが、おの裸をを想像すると、股間のものが立ちっぱなしであった。
家へ帰り、先端があたっていた下帯が湿っていることに気づいて顔を赤らめたことであった。


平蔵権七夫婦とともに別の黒舟で、見送りにきた松造とおに、
「今夜は、悦び声を盛大にあげて愉しめるな。ひと味もふた味も違ってこよう」
「殿さま!」
奈々が腕をつねってたしなめ、権七夫婦が笑顔でそれを見守っていた。

奈々は、おより大人ぶった気分にひたっていたが、家へ着いたら花嫁のようにふるえてみようとこころづもりしていた。
おんなは、幾つもの顔をもっている。

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コメント

あ、そうでした、千浪さんにはひどい過去があったのですね。今助元締と明るくふるまっているから、つい、忘れてしまっていますが、リンクをたどり、おもいだしました。リンクって有効ですね。

投稿: mine | 2011.12.20 11:56

>mine さん
千浪のバック・クラウンドについても、いちど、まとめてリンクを張ったほうが、最近、アクセスをはじめた方々に親切かもしれませんね。ほかにも、浅野長貞とか長野孝祖などの盟友、〔箱根屋〕の権七、〔音羽〕の重右衛門といったサブ・キャラにも。

投稿: ちゅうすけ | 2011.12.20 13:01

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