西丸・徒の第2組頭が着任した(6)
幕府米蔵の北はずれ、御厩河岸の渡し前の〔三文(さんもん)茶亭〕はとうぜん、仕舞っていた。
渡しの仕舞い舟があがるとともに、店も閉めるしきたりになっていた。
その人影のない舟付きに雪洞(ぼんぼり)をともした屋根舟が一艘、先刻から舫っていた。
平蔵(へいぞう 40歳)の足音を聴きつけた船頭が、雪洞をかざして導いた。
辰五郎(たつごろう 56歳)であった。
「爺っつぁん、遅くまですまぬな。おっつけやってくる仁を牛込ご門下まで送ってやってくれ」
「長谷川さまはどちらまで---?」
「われは柳橋あたりで落としてくれるか」
「なんでしたら、冬木町の〔黒舟〕根店までまわりやしょうか?」
「いや、今宵は客を立てておこう」
「さいでやすか」
ほどなく、瀬名伝右衛門貞刻(さだとき 37歳)が供の者に足元を照らさせながらあらわれた。
並んで座り、暗い中を行き交う舟に目をやりながら、
「瀬名うじ。これから先は、〔東金(とうかね)屋〕とよく談じあい、よい道をお探しあれ。清兵衛どんは信じてよい数少ないない正直でふところの広い町人ですから、こころを割って何ごともまっすぐにお打ちあけになるがよろしい」
「忝(かたじけな)い---」
「ただ、商人としての清兵衛どんの顔をつぶすようなことだけはしないでいただきたい」
「こころえており申す」
「くれぐれも頼みましたぞ。や、柳橋だ、では、おきをつけて---」
「長谷川どの。この舟賃は---?」
「われのおごりです。ただし、降りぎわに煙草銭でもにぎらせていただくと、われの顔がたつ」
「承知---」
その後、柳営で会っても、目と目でしめすあうだけで、蔵前のことは双方、口にしなかった。
そうこうしているうちに11月15日になり、異なことがおきたので、平蔵の注意はそちらにそそがれた。
先手・鉄砲(つつ)の16番手の組頭の堀 帯刀秀隆(ひでたか 50歳 1500石)が火盗改メ本役の下命をうけるとともに、弓の7番手へ組替えが行われたのである。
鉄砲(つつ)の16番手は、与力は10騎ながら同心が50人配されている。
与力10人・同心50人というのは、西丸もふくめて34組ある先手組のなかでも3組しかない。
16番手のほかは、鉄砲の1番手と3番手のみ。
同心40人は鉄砲の13番手がただ1組。
世情が騒がしいというこの時期に、火盗改メ・本役を同心が30人の弓の7番手へ組替えした幕府上層部の真意はどこにあるのか。
平蔵としては計りかねた。
鉄砲(つつ)の16番手は、かつて銕三郎(てつさぶろう)時代の平蔵に目をかけてくれた本多采女紀品(のりただ 49歳=当時 54歳=当時 2000石)と2度も本役と助役(すけやく)をつとめた組であった。
弓の7番手も、平蔵の本家の大伯父・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 45歳=当時 47歳=当時 1450石)が助役と本役を命じられていた。
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