天明7年5月の暴徒鎮圧(2)
館(たち)朔蔵(さくぞう 37歳)が社務所に会談場所の借り受けの交渉にいっているあいだ、平蔵(へいぞう 42歳)は御手洗(みたらし)場で待ちながら、梅雨もよいの空を眺めていた。
騒擾(そうじょう)集団の惣代という30男が、筆頭与力・小津時之輔(ときのすけ 48歳)が左手に保持していた革たんぽ棒に目をとめた。
「こんどの打ちこわし対策用に、特別にあつらえさせたたんぽ棒だ」
平蔵が気軽に解説すると、惣代は驚いた顔になり、
「何ヶ月も前からこのことを予想していたのか?」
「そうだ。いや、想見したのはわれではない」
「だれだ? 聴かせてくれ――」
「知りたいか?」
「知りたい」
「なれば、おことから名乗れ」
ちょっと逡巡したが、
「遠州浪人・吉田喜三郎(きさぶろう)」
「相良ではあるまいな?」
「ちがう。掛川だ」
「このことあるを想見なさったのは、相良侯だ」
「いつだ?」
「2年前だったかな」
「それで、長谷川うじがたんぽの内に穂先をくるんだ槍を考案なさったのか?」
「穂先をくるんだ? 革ぶくろの中にあるのは綿だけだ」
「なんと――!」
「このことは、戦さではなかろう? 食っていけないことを公儀と世間に訴えているだけであろう。そういう衆を斬ったり突いたりするわけはなかろう? そのために、わざわざ綿入れのたんぽ棒をつくらせた。たぶん、大坂の町奉行所でも、こたびはこの棒をつかっているはずだ」
【参照】2012年4月6日~[将軍・家治の体調] (3) (4) (5)
館 次席が、席の用意ができたと告げにき、社務所の控えの間へ移ってからも、しばらくは革たんぽ棒の話題がつづけられた。
「長谷川うじ。ご一統がお進みになるときに、鈴音のような鳴り物がする、あれは――?」
「景気づけの出囃子(でばやし)さ」
「出囃子――?」
「お化けだって登場するときには音を背負ってあらわれる。そこで、組衆が帷子(かたびら)の下にもう1枚まとっておる鎖帷子(くさりかたびら)の右腕に小鈴を100ヶほどもつけ、腕を振るたびに音を発するようにし、長谷川組の出番をしらせる」
「恐れいりました。長谷川うじにとっては、出役(しゅつやく)も遊び同然ですな」
「いや。そのようにはおもっておらぬ。おことたちにはご公儀に訴えたい必死の訴状があろう。その気持ちに対する拍手と受け取ってもらえると、あの鈴の音もなかなか風流に響こうか」
惣代を自称した遠州浪人・吉田がくずれた表情で平蔵を見すえた。
「ご公儀の中にも、長谷川うじのようにわれらを見てくるれる仁がおるのですか?」
「富商のとめどない欲肥(こ)えにはご公儀もほとほとあきれかえっていても、それを止める手だてが 見つからぬ。おことたちのこたびのやりようは、おことたちでなければできなかったことだとおもう士も少なくはなかろう。
とにかく、このあたりでおことたちのいい分をとりまとめて評定所の目安箱へ投げ入れ、しばらく結果を待ってはいかがであろう」
騒擾を起こして以来、やっと話しが通じる幕吏と出会えたとおもったのであろう、吉田惣代も首をたてにふり、惣代・頭取の談合にはかってみるといった。
平蔵が得た感触では、相当に上のほうから仕組まれた騒動というだけで、その正体まではうかがえなかった。
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