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2005.03.17

〔鳥坂(とりさか)〕の武助

『鬼平犯科帳』 文庫巻10に載っている[五月雨坊主]の首領〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛一味の連絡(つなぎ)役。〔羽黒〕が手を組んでいっしょにお盗めをしようとしていた〔荷頃(に)ごろ〕の半七に女房おしんを寝取られ、「おしんは、お前が物足りなかったのだとよ」と、男のプライドを傷つけられて刺し殺したが、そのまま、一味に居つづけた。

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(参照: 〔荷頃()〕の半七の項)

年齢・容姿:40がらみ。容姿は記されていない。
生国: 越後(えちご)国北蒲原郡(きたかんばらごおり)鳥坂(とっさか)山(現・新潟県北蒲原郡中条町野中の鳥坂山麓あたり)

探索の発端:いまは、湯島の妻恋明神(文京区湯島3丁目)の脇へ住んでいる絵師・石田竹仙の庭へ、瀕死の男が倒れこんでいた。
男は、竹仙の腕の中で、「武助に、やられた---と、十日のお盗めは、だめ----」と告げてこと切れた。
竹仙は、男の人相書を役宅へとどけたが、密偵たちも見覚えのない者であった。
鬼平がおもいついて、竹仙に自分の似顔絵を描かせると、上野山下の岡場所・提灯店のおよねが似た男をおもいだした。道灌山の貧乏寺〔天徳寺〕(架空)の僧・善達だった。
火盗改メが天徳寺へ向かった。

結末:善達坊を物置へ押し込め、住職を殺して、天徳寺を盗人宿代わりにしていたのは、善達の弟の越後生まれで、越後から岩代、信濃へかけてあらしまわっていた〔羽黒〕の九兵衛一味6名で、全員捕縛。その中に〔鳥坂〕の武助もいた。死罪。

つぶやき:「鳥坂山」を地元では(とっさかやま)と呼んでいるようだが、ここは池波さんのルビにしたがって〔鳥坂(とりさか)〕とした。

「羽黒」という地名は、新潟県下にいつくかある。
村上市羽黒町
西蒲原郡中之口村羽黒
北蒲原郡中条町羽黒
北蒲原郡笹神村羽黒
で、池波さんがらみで検討すると、『堀部安兵衛』の取材で新発田(しばた)市を訪れたときに知ったか、そのとき求めた地図からひろったか、取材に行く前にひろげた吉田東伍博士『大日本地名辞書』で読んだか、あたり---とすると、中条町羽黒がもっとも近いような気がするのだが、地元の鬼平ファンの方々のご意見を徴したいものである。

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鳥坂山麓の中条町と羽黒(明治20年の地図)

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コメント

きょうは、ニフティがブログの整備をしていたんですね。

新しい記事がなかなかあらわれないので、ちゅうすけさん、いよいよダウンかな、なんて余計な気をまわしました。
このブログへのアクセスが日課のようになっていて、その日その日の盗人の出身地を、「ふんふん」とうなづきながら読んでいます。

ちゅうすけさん、お躰に気をつけて、頑張って、いつまでも、われわれ鬼平ファンを楽しませてください。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.17 14:36

>文くばり丈太さん

ぼくは、だいじようぶです。

これからも、安心してご参加ください。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.17 15:09

きようの〔鳥坂〕の武助は、危機一髪でした。

というのは、 データベース『旧高旧領』で検索したら、静岡市清水鳥坂が出ました。てっきり、「これこれ」と、初稿をそれにしたのですが、〔羽黒〕の九兵衛の兄の善達坊の「越後出身」と、これも越後の出身である〔荷頃〕の半七と組むということにひっかかり、「羽黒」を検索したら、「越後」とでたので、越後の鳥坂山を見つけて、訂正。

ニフティがブログ関連の調整で昼までアップできなくて、訂正の時間がかせげて、セーフでした。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.17 17:33

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