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2005.06.24

〔棚釜(たなかま)〕の重四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に所載されている[白蝮]のヒロイン・津山薫こと初子と組んで盗みをしている浪人くずれの男。

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年齢・容姿:30男。容姿の記述はない。
生国:播磨(はりま)国多可郡(たかごうり)多棚釜(たなかま)村(現・兵庫県多可郡加美(かみ)町棚釜)
多可郡は兵庫県東北で、棚釜は杉原川の支流の多田川の中流ぞいにある。
古くは、多田中間村と呼ばれたと。「多田」は鉱業用語の「たたら」で、その仲間---つまり多田の隣村といったほどの意。勝浦銅山にちなむ。
池波さんは、1976年に文藝春秋主催の講演で福知山市へまわっている。多可郡はそのときに認知したか。

探索の発端:谷中・天王寺の門前に遊所・いろは茶屋が軒を並べている。その1軒、〔近江屋〕の妓娼お照に、鬼平の息・辰蔵は夢中だった。
そのお照を52両2分で見受けしていった若武者ふうに男装した女がいた。女おとこ剣客が辰蔵に投げつけた白扇を、鍛冶町(橋の誤植)門外・五郎兵衛町の小間物屋〔丁子屋〕が上方から仕入れている品で、昨今、押し入った賊がついでに持ち去った10本のうち1本と鬼平がみて、探索がはじまった。

結末:同心・沢田小平次が白山権現社に近い指ヶ谷町2丁目に印判師の看板を出していることをつきとめ、2軒の盗人宿にいた一味ともども、検挙された。お初は、同門だった沢田小平次が殪した。
〔棚釜(たなかま)〕の重四郎は、指ヶ谷の家で逮捕。死罪であろう。

つぶやき:〔棚鎌〕は姫路藩(15万石)の領内であるが、重四郎が藩士だったとはおもえない。
要衝の地・姫路を城下町とする同藩は、しばしば藩主が変わっている。移封されてきた藩士で浪人となった者が、わさわざ辺境の地「多棚倉」の村名を「通り名(呼び名)」とすると考えるのはむずかしい。「多棚倉」村の郷士ででもあったか。

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コメント

一本の白扇から丁子屋を襲った盗賊を推定し三つの家を出入りする男たちを尾行しても、
ただ家を行ったり来たりしているだけだった。

それでも「ゆるぎないもの」と断定した鬼平の「勘ばららき」はすごい。

しかし今回は、経緯が省略されていて、私にはちょっと理解しにくいのです。

投稿: みやこのお豊 | 2005.06.24 23:46

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