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2005.09.22

〔切畑(きりはた)〕の駒吉

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻6,7に、大坂の暗黒街を仕切っていた〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門の左腕だった〔切畑(きりはた)〕の駒吉は、菊右衛門と右腕の〔守山(もりやま)〕の繁蔵が梅安に殺された(巻5[東海道・藤枝宿])ので、敵を討って跡目をつぐ立場をしっかりさせようと、〔石墨(いしずみ)〕の半五郎ほかの腕ききの仕掛人を江戸へ送り込む。
(参照: 〔白子屋〕菊右衛門の項)
(参照: 〔石墨〕の半五郎の項)
その成果がなかなかにあがらないのにたまりかねたのと、江戸の〔音羽(おとわ)〕の半右衛門の地盤を奪うために、わざわざくだってもくるほどの熱のいれようである(巻7[襲撃])。

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年齢・容姿:どちらの記述もないが、40代と推測。
生国:摂津(せっつ)国川辺郡(かわべこおり)切畑村(現・兵庫県宝塚市切畑)。
「切畑」は、山を切り開いた焼畑につけられる地名であるそうな。
山口県防府市、新潟県五和泉市、山形県山形市にも「切畑」はあるが、〔白子屋〕菊右衛門が三重県鈴鹿市、右腕の〔守山〕の繁蔵が滋賀県守山市の出身と、池波さんの忍者もののテリトリー内であることをかんがえ、宝塚市をとった。

結末:巻7『梅安冬時雨』は未完---というより、末尾に(絶筆)と記されている。
したがって、梅安と彦次郎が>〔切畑(きりはた)〕の駒吉を始末する場面は描かれてはいない。

つぶやき:梅安たちの〔切畑〕が駒吉を迎え討って仕掛ける工夫は、読み手はいかようにも想像できる。
音羽9丁目に近い大洗堰での仕掛けを想像している。半右衛門の女房おくらがとり仕切っている料理茶屋〔吉田屋〕を観察したくなった駒吉が、夕暮れ、駕篭で目白坂をくだりながらささら窓ごしに〔吉田屋〕へ血ばしった目をはしらせたあと、江戸川橋の北側ぞいを西へ。おしげから聞いていた江戸の水道施設---大洗堰へ達したところで駕篭をちょっと下り、背伸びをして緊張をほぐそうとしたころへ、蓮華寺裏の崖を駆け下ってきた梅安がぶつかるようにしてぼんのくぼへ仕掛け針をずぶり。駒吉の躰は大洗堰の流れの中へころげ落ちた。
駕篭につきそっていた配下のくびには、彦次郎の吹き矢が---。

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目白下大洗堰(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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コメント

江戸の水道施設の大洗堰を見にゆくように勧める・・・ってのも、誘いのトリックの一つですね。

大坂は、「杭(食い)だおれ」というくらい、水路が縦横に走っていたようですが、水道施設はどうしていたのでしょうね。
興味があります。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.09.23 11:46

>文くばり丈太さん

そうですね、大坂の水道施設について、ぼくも知りたいです。

手がかりともいえる、声価の高かった『大阪市史』全巻を、南○堂書店にかたりとられて手元に史料がなくなったのが、いまさらのように、痛恨のきわみです。

投稿: ちゅうすけ | 2005.09.23 13:07

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