« 〔山彦(やまびこ)〕の徳次郎 | トップページ | 〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛 »

2005.08.25

〔淀(よど)〕の勘兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収まっている[埋蔵金七百両]のサイド・ストーリーに登場するのがこの〔淀(よど)〕の勘兵衛である。上方から中国すじへかけてがテリトリーのために江戸の火盗改メにはデータがないはず。
ところが長谷川平蔵の父・宣雄が京都西町奉行時代からお盗めをしていた賊だから、父の日記に記録されていることを記憶していたのである。
日記を確かめに目白台の自邸へ帰り、ついでに雑司ヶ谷から戸塚へ出る夜道を歩いていて、事件に遭遇した。
息・辰蔵が岡惚れしている、雑司ヶ谷の鬼子母神の境内の茶店〔笹や〕のむすめ・お順が誘拐されたのである。お順の父親の次郎助(58歳)は、じつは長年、上方の盗賊〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)の配下だった男で、〔堀切(ほりきり)〕の通りり名で呼ばれていた。
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)
この篇の本筋は、長年の縁で、次郎助がお頭の隠居金を預かり、それを狙った者たちとの競り合いの物語である。

207

年齢・容姿:どちらも記述されていないが、20数年も前から上方で盗みをしていたというから50歳はこえていようか。
生国:山城(やましろ)国久世郡(くぜこうり)淀町下津(現・京都府京都市伏見区下津)

探索の発端:両国の坂の場で、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、〔淀〕の勘兵衛一味の〔井尻(いじり)〕の直七を見かけ、〔淀〕一味が江戸でのお盗みめを企んでいるようだと、鬼平に告げたことで、調査がはじまった。

結末:探索の甲斐もなく、〔井尻〕の直七は、その後、姿を見せなかった。

つぶやき:池波さんにとって、「淀」は、『丹波大介』以来、馴染みの甲斐土地である。それで、つい、気をゆるして、勘兵衛に〔淀〕といった広い範囲の地名を冠してしまったのであろう。
で、出生地を、『丹波大介』で家康が暗殺されかかる淀津に近い、下津と仮定しておいた。

|

« 〔山彦(やまびこ)〕の徳次郎 | トップページ | 〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛 »

125京都府 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔山彦(やまびこ)〕の徳次郎 | トップページ | 〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛 »