〔飯富(いいとみ)〕の勘八
『鬼平犯科帳』文庫巻6には、全篇中のベスト5にランクされる[大川の隠居]が収録されている。
そう、いまは船宿〔加賀や〕の船頭としてはたらいている、かつての盗人〔浜崎(はまざき)〕の友蔵(友五郎)が戻り盗めをする一篇である。友蔵は〔飯富(いいとみ)〕の勘八の右腕だった。
そのころ、押し込み先の女に手を出して〔血頭〕の丹兵衛のところを追いだされた、20歳になったばかりの〔小房(こぶさ)〕の粂八も、〔飯富〕一味にいた。
(参照: 〔浜崎〕の友蔵の項 )
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
年齢・容姿:武州・川越のわが家の畳の上で、女房と子どもたちに看取られてれてみまかったときが62歳。容姿の記述はない。
生国:上総(かずさ)国望陀郡(ぼうだこうり)飯富村(現・千葉県袖ヶ浦市飯富)。
甲斐国巨摩郡の飯富村もかんがえたが、テリトリーが上総、下総と江戸とあるので、上総の飯富村を採った。自宅が川越なのは、女房がそっちの出なのかも。
探索の発端:3ヶ条を守り抜いた上での病死なので、一度も捕縛されていない。
結末:前記のごとく、畳の上で、家族に看取られて大往生。
つぶやき:千葉の袖ヶ浦と埼玉の川越が、最初はどうしても結びつかなかったが、〔浜崎(はまざき)〕の友蔵の前身が、新河岸川ぞいの「浜崎村」生まれの川越船頭ということにおもいいたった。とすれば、〔飯富(いいとみ)〕の勘八に川越の家を世話したのも、女房となった女性に引きあわせたのも、右腕だった友蔵だったろうと。
すっきりおさまった。
池波さんが川越に取材に行った記録がのこっているのは1971年10月で、[大川の隠居]はこの年の5月号の『オール讀物』に発表されているから、これは事後の取材ということになる。その前に記録にのこしていない取材があったはずだ。
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コメント
久しぶりに、おこんさんの〔小房〕の粂八つぁんと〔血頭〕の丹兵衛どんにリンクしてみました。
いまさらいうのもなんですが、西尾先生の周到さに、あらためて感心しました。
何か月も以前の記述が、ちっとも古びていないばかりか、新しい記述によって一層価値を高めているんです。
どういう仕掛けになっているのでしよう?
こんなプログ、ほかではみあたりませんよ。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.08.02 11:36
>文くばり丈太さん
いつも、なにかとお励ましをいただき、恐縮しています。
お蔭さまで、日経BP社のサイト[セカンドステージ]で、「おとなのブログリスト」ベスト10入りし、「古田敦也公式ブログ」や「横峰さくらブログ」と並ぶことができました。
http://nikkeibp.jp/style/secondstage/
これもひとえに、文くばりさんのご支援の賜物です。感謝。
投稿: ちゅうすけ | 2005.08.04 11:12
飯富で検索しましたところここにたどり着きました。
私は山梨県の飯富に住んでいるものですが、鬼平犯科帳に飯富が出てくるとは知りませんでした。私のブログにも飯富が度々登場します。よろしかったら遊びに来てください。
投稿: てんちゃん | 2006.03.25 13:36