〔海津(かいづ)〕の滝造
『鬼平犯科帳』文庫巻22、長篇[迷路]の第7章[座・徳の市]に、ちらっと登場する盗人---といっても、当人がじかに登場するのではなく、女盗お兼の自白の中で、何気なく語られる。
「池尻のつなぎの人の中で、海津(かいづ)の滝造(たきぞう)という爺さんが、いつだったか、ひょいと洩らしたことがありました。池尻のお頭には、なんでも義理の兄さんがいて、そのお人も、池尻のお頭同様、むかしは大きな盗めをしたお人らしゅうございます。もう亡くなっているのではないでしょうかねえ」
(参照: 〔池尻〕の辰五郎の項)
年齢・容姿:爺としか書かれていない。容姿の記述もない。
生国:越中(えっちゅう)国射水郡(いみずこうり)海津村(現・冨山県氷見市海津)
氷見市にきめるまで、かなりの時間が経過した。〔池尻(いけじり)〕の辰五郎は美濃(みの)の大垣(おおがき)の近くの池尻の出とある。p207 新装版p196 それで、近江国高島郡海津をまっさきに候補にあげた。
この高島郡の高島は、百貨店〔高島屋〕の屋号にもなっている。
福岡県三池郡高田町海津は、あまりに地縁が薄すぎるので外した。
氷見町がひらめいたのは、池波さんの先祖が井波町の出身ということ。さらに、密偵〔豆岩〕が氷見の南隣の伏木の生まれであること、また、〔豆岩〕がほれ込みながら差した〔海老坂(えびさか)〕の与兵衛の「海老坂」は、氷見と伏木の中間にあること---などから、池波さんに土地勘もあるとみた。
(参照: 〔豆岩〕の岩五郎の項)
(参照: 〔海老坂〕の与兵衛の項 )
探索の発端:---といっても、〔海津〕の滝造のではなく、正体が知れない刺客を操っている奥の人物への手がかりである。すでに打ち首処刑になってしまっている引き込み女お兼の自白書を、あらためて読み返すことを鬼平におもいつかせたのは、密偵〔玉村(たまむら)〕の弥吉であった。
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)
結末:もう亡くなっているかも、とお兼はいったが、〔猫間(ねこま)〕の重兵衛は生きていた。重兵衛と鬼平の一騎打ちで片がつく。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
つぶやき:連想というのは、不可思議な働きをする。
「海津」という地名を『旧高旧領』を検索して近江国と越中国に見つけたときは、即座に近江だと思った。八日市から米原への近江鉄道の車窓から望んだはるか先、越前との国境の山々を連想していた。あの山々の手前が高島郡だと。
しかし、高島郡海津と射水郡海津の資料をそろえてたとき、とつぜん、〔飛鳥〕で伏木港へ入港・下船したときのことをおもいだした。臨時下船客のおおくが、合掌造りの白川を見学にいくという。地図でたしかめると、越中と美濃の白川はそれほど離れてはいない。
地縁という言葉が浮かんだ。大垣と氷見は山越えでつながるのだと。
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