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2005.11.24

〔千里(せんり)〕の富平

『鬼平犯科帳』文庫巻3におさめられている[艶婦の毒]で、27歳の銕三郎(鬼平の家督前の名前)が、京都で親しんだ女性・お豊(24,5歳)がやっていた茶店〔千歳〕の老爺が、じつは〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門(60をこえた)と名乗る盗っ人だった。
(参照: 女賊お豊の項)
(参照: 〔男鬼〕の駒右衛門の項)
駒右衛門は10年前、大坂をテリトリーにしていた〔千里(せんり)〕の富平一味にいたとき大坂町奉行所の同心・平山亀蔵に捕まり、縄ぬけしたことがあった。それで、京都町奉行所へ用事できた平山同心が、帰路、伏見稲荷社の前で見かけた駒右衛門に縄をかけたのである。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:大坂がテリトリーというから、池波さんはてっきり、万博のあった千里山線ぞいの千里のつもりでこの〔通り名(呼び名)」をふったのだろうが、どっこい、『旧高旧領』には載っていない。
あったのは、磐城国楢葉郡千里村と、筑前国怡土郡千里村(現・福岡県福岡市西区千里)。で、大坂なら、と後者を採った。

探索の発端:10年前に大坂町奉行所に捕らえられた〔千里〕の富平は獄門。逮捕の端緒は不明。
お頭の仕置きのあと、〔男鬼〕の駒右衛門は小盗人になっていたが前述のように逮捕され、縄ぬけ。

つぶやき:縄ぬけをした駒右衛門は、その後、伝手があって上方から近江へかけて鳴らした〔虫栗〕の権十郎(先代)に拾われ、その妾の女賊お豊の茶店〔千歳〕の老爺を勤めていた---と、このころの池波さんは、駒右衛門のような小物にいたるまで、周到な人物づくりを惜しまず、〔千里〕の富平まで用意している。
が、「千里」が『旧高旧領』には記載されていないところまでは調査がおよばなかった---というより、万博でここの地名は常識の範囲にまで広まっていたのである。

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