〔白狐(びゃっこ)〕の谷松
『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[艶婦の毒]で、〔高津(こうづ)〕の玄丹の素顔を見てしまった女中およねの口を封ずるために追跡をいいつかっているのが、〔猫鳥(ねこどり)〕の伝五郎と〔白狐(びゃっこ)〕の谷松である。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)
2人は、奈良へ旅立った鬼平、木村忠吾、教徒西町奉行所の与力・浦部彦太郎、およねの後を、見えがくれに尾行(つ)けていく。
年齢・容姿:若いのか年をとっているのか判別が困難な、白なまずにかかった白斑の面妖な風貌。ひょろりと細長い躰つき。
生国:山城(やましろ)国紀伊郡(きいこおり)深草村(現・京都府伏見区深草稲荷榎木橋町)。
池波さんは、『忍者丹波大介』ほかの取材で、幾度も伏見を探索している。伏見稲荷社の白狐にかけての「通り名(呼び名)」とした。
現在は、福島県河沼軍会津坂下町に白狐って地名があるけれど、みれは『旧高旧領』に載ってないから採れない。
探索の発端:京都から奈良への歌姫街道は平安朝から通じていた。その雛びた風景を楽しんでいる鬼平たちの後を、2人がつけていることは、鬼平と浦部はとっくに気づいていた。
結末:祝園(ほうその)村あたりで、谷松は鬼平に捕まり、常念寺の物置小屋へ放り込まれたが、舌を噛み切って自裁。
その谷松を見たおよねは、玄丹の素の顔を見てしまった夜、谷松に陵辱されたことを鬼平に告白。
祝園 春日社 若王子(『都名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
つぶやき:歌姫街道の祝園村あたりのたたずまいについて、司馬遼太郎さんは『空海の風景』で現地を取材、ところの老婆から、道が舗装されて明るくなってしまったと嘆かれたと。昭和の中期までは薄暗く樹木がしげった玄幽な雰囲気だったのであろう。
祝園は、大和朝廷軍と戦って、このあたりで全滅した長脛の兵たちの鎮魂のために名づけられた地名という。
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