« 〔相川(あいかわ)〕の虎次郎 | トップページ | 〔松倉(まつくら)〕の清吉 »

2006.01.22

〔泥鰌(どじょう)〕の和助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[泥鰌の和助始末]は、〔大工小僧〕の異称をもつ〔泥鰌(どじょう)〕の和助が、実の息子・磯太郎(23歳)を自殺に追いこんだ南新堀(中央区)の紙問屋〔小津屋〕へ、仇討ちのつもりで盗みにはいろうとしているのに、退屈をもてあましている剣客・松岡重兵衛(50歳前後)が手を貸す物語である。
(参照: 剣客・松岡重兵衛の項)
〔泥鰌〕の和助は、父親の代から2代つづいている大工あがりの盗人で、しばらくは〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛一味にいた。大工として大店の普請仕事をするとき、だれにもわからない秘密の仕掛けをほどこしておき、歳月をおいてから、その仕掛けを使って泥鰌のようにするすると忍びこむ---これが「通り名(呼び名)」のゆえんでもある。

207

年齢・容姿:60歳前後。髷はちょこんと頭にのっているが、がっしりした躰つき。手指も骨張っている。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(にいかわこおり)安蔵(あんぞう)村(現・冨山県上新川郡大山町安蔵)。
大山町を流れる常願寺川の上流、湯川谷右岸に「泥鰌池」がある。それで、ここを生地としてみた。もしかすると江戸のどこかの裏店の線もないではないが、まあ、父親も腕のたしかな渡り大工だったようだから、江戸に住みついていたとは考えがたい。

探索の発端:息・辰蔵(20歳)が通っている市ヶ谷・左内坂上(新宿区)の坪井道場へあらわわれた松田十五郎と名乗った剣術遣いの剣筋を聞いた鬼平は、それが松岡重兵衛の変名と悟り、辰蔵に住いを突きとめるようにいいつけた途端、さっと消えられてしまった。
重兵衛が立ち寄った市ヶ谷田町1丁目の鰻屋[喜田川]惣七も店を閉めて逐電していた。が、辰蔵の悪友・阿部弥太郎が鰻屋の女房が天現時寺(港区南麻布4丁目)の門前で茶店をだしているのを見つけてから、見張りがつけられた。
(参照: 〔不破〕の惣七の項)
それで、〔泥鰌〕の和助たちの狙い先が判明。

結末:首尾よく紙問屋〔小津屋〕へ忍びこみ、金を盗み、帳面類を川へぶちまけたまではよかったが、亀戸村の盗人宿へ引き上げてみると、惣七の裏切りで、浪人たちすが横取りすべく待ち受けてい、和助は斬られて死んだ。

つぶやき:シリーズ第48話目---連載満4年、『オール讀物』での巻末に落ち着いてからも2年経っている。
それで、あるていどのわがままもきいたのであろう、この篇の原稿枚数はふだんの篇の倍はある。松岡重兵衛の「退屈は死ぬよりつらかった」の経緯と、和助の仕掛け大工としての秘策を矛盾なく説明するために、それだけの枚数を要したのであろう。
読み手としては、そこのところを汲みとりながら読みこみたい。

|

« 〔相川(あいかわ)〕の虎次郎 | トップページ | 〔松倉(まつくら)〕の清吉 »

117冨山県 」カテゴリの記事

コメント

しかし泥鰌池凄いところにありますね。
黒部立山アルペンルートだぁ!
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.32.48.538&el=137.33.15.833&la=1&fi=1&prem=0&skey=%c5%a5%f2%d5&sc=5

投稿: 豊島のお幾 | 2006.01.22 12:25

探しあてたとき、雪がとけたら行ってみたいところの一つに、即、登録しました。

冨山市から単線の電車が出ているみたいですね。

安蔵は廃村みたい。

投稿: ちゅうすけ | 2006.01.22 17:25

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔相川(あいかわ)〕の虎次郎 | トップページ | 〔松倉(まつくら)〕の清吉 »