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2006.01.21

〔相川(あいかわ)〕の虎次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻24には、未完の長篇[誘拐]が収録されている。その最初の章[相川の虎次郎]に描かれているのが、きょう探索されるながれ盗めの盗賊〔相川(あいかわ)〕の虎次郎、その者である。
ただ、将軍さまのお膝元を汚してはいけないと、江戸では一度も仕事をしていない。その虎次郎がなんのために江戸へあらわれたか。
虎次郎を見つけ、同心・松永弥四郎へ教えたのは、現役時代に虎次郎を何度がつかったことがあった芝・西久保の京扇舗〔平野屋〕の番頭---じつは元盗賊〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛であった。
(参考: 〔馬伏〕の茂兵衛の項 )

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年齢・容姿:40がらみ。実直な商人風。
生国:甲斐(かい)国山梨郡(やまなしこおり)古府中・相川村(山梨県甲府市古府中町)。
「相川」という地名は全国にいくつもあるが、密偵・おまさの「あの男は、甲斐の相川で生まれたということになっておりますが、江戸育ちだそうでございますよ」で、古府中を採った。ただし、『旧高旧領』には採集されていない。
(参考: 女密偵おまさの項)
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)では、甲斐の「相川」は「古府中」の項に収録され「いま相川村と改む、甲府の北なる高地にして、岡巒三面に環り、相川、濁川の二溪この間に発す」と。

探索の発端:〔平野屋〕でお茶を飲んでいるとき、茂兵衛の教えられた松永同心は、すぐに尾行したが、天徳寺のあたりから右へ入ったあたりで捕縄。
ところが、どのような拷問にも江戸へ来た目的を吐かない。

結末:類推だが、〔荒神〕のお夏からいいつかって、おまさに連絡(つなぎ)をつけにきているとおもうのだが。

つぶやき:この篇が未完であることを、ほとんどの鬼平ファンは残念がっているが、23巻まで『鬼平犯科帳』を熟読してくれば、池波さんの作劇術もおおよそ見当がつこう。
その伝で、この未完の長篇のゆくたては、細部の起伏はべつとして、おうよそ、読めてくるはず。

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