同心・木村忠吾の年譜
30俵2人扶持
亡母:あさ。父親の名は記述がない
叔父:中山茂兵衛。
下女:お杉([影法師])
明和5年 誕生 先手同心の長男。兄弟姉妹は不明
(1968)
天明5年 18歳 亡父の後継者として家督
(1785) 入組 [2-2谷中・いろは茶屋]
天明6年 19歳 長谷川平蔵、組頭に着任
(1786)
天明7年 20歳 長谷川組、米騒動の鎮圧に
(1787) 長谷川組、火盗改メに従事(助役)
天明8年 21歳 長谷川組、火盗改メ・本役に
(1788)
寛政3年 24歳 荒川で釣人に化けて見張る[6-4 剣客]
(1791) いろは茶屋〔菱屋〕:お松
[2-2 谷中・いろは茶屋]
寛政4年 25歳 龍宝寺門前町〔松月庵〕でお雪を抱く
(1792) [2-6 お雪の乳房]
寛政5年 26歳 長官・長谷川平蔵のお供で京へ
(1793) [3-2 盗法秘伝][3-3 艶婦の毒]など
寛政6年 27歳 鬼平の供で二本榎・細井邸へ
(1794) [9-4 本門寺暮雪]
〃 男色浪人に誘拐される[11-1 男色一本饂飩]
寛政7年 28歳 長谷川平蔵病死
(1795)
寛政8年 29歳 一本眉事件[13-6 一本眉]
(1796) 伊三次が刺殺される[14-5 五月闇]
〃 伊三次の墓へ墓参[14-6 さむらい松五郎]
〃 同心:吉田藤七の四女おたかと結婚
[15-5 雲竜剣 急変の日]
寛政9年 30歳 藤田彦八の妻の事件[19-4 逃げた妻]
(1797)
寛政10年 31歳 上記事件の続篇[19-5 雪の果て]
(1800) 市口又十郎とお弓の事件[21-3 麻布一本松]
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コメント
年譜でみる限り忠吾は単なる同心の一人としか思えません。
しかし忠吾イコール志ん朝という図式は誰でもが認めるところだと思います。
池波さんと志ん朝の対談で池波さんは志ん朝を新国劇の役者に推薦しようと思っていたと述懐してますから、きっと忠吾を書くときには志ん朝のイメージがあったはずだと私は確信しています。
「さむらい松五郎」の「墓標の前に立ち上がった木村忠吾は、泪があふれるにまかせている」という文章が忠吾の心根をあらわしてますね。
投稿: 靖酔 | 2006.04.09 23:35
靖酔さんは、志ん朝師匠の大のファンだからなあ。
忠吾イコール志ん朝師匠になる。
まあ、年譜は、骨格ですからね。
別の表現法で、忠吾の魅力を紹介しますよ。
投稿: ちゅうすけ | 2006.04.10 07:17
先生本当にお久しぶりです。
会津のお熊です。
私たちの鬼平であそぶサークルは健在で今年は9年目です。
本年度の現地学習は佃島をメインに明治大学刑法博物館、勿論戒行寺、四谷組屋敷のあたりを歩いてきました。
ところで2月のおつとめ(毎月の例会をこう呼んでいます。)がビデオと原作の違いの検証で麻布一本松を取り上げました。
この時に珍しい先生の忠吾の年譜をお借りして(無断)資料として会員に配布したところ、天明6年長谷川平蔵長官に就任とあるが長官になったのは8年ではないかとの指摘がありました。どのように説明したらよろしいでしょうか。私は御先手弓組頭ではないかと答えたのですが。よろしくお願いいたします。
投稿: 会津のお熊 | 2009.03.23 20:06
>会津のお熊 さん
お久しゅう。
ご指摘のとおり、長官はおかしいかもしれません。
組頭、あるいは頭が正しいかも。
もっとも、長官を(かみ)と読めば、間違いではありません。しかし、池波さんは、火盗改メのお頭のときにのみ、長官をつかっていますから、やはり、組頭とすべきです。
あとで、元稿は訂正しておきます。
ご指摘、ありがとうございました。
こんごも、よろしくお願いします。
投稿: ちゅうすけ | 2009.03.26 16:02
先生、お忙しいところ早速お答えいただきありがとうございます。年譜も直していただき恐縮です。早速今月のおつとめで会員に報告いたします。会津で鬼平犯科帳は限界がありますが私たちなりに楽しんでおります。先生の膨大な資料によるこのブログは私たちにとってバイブルのようなものです。これからもよろしくお願いいたします。
投稿: 会津のお熊 | 2009.03.26 17:44