松平左金吾と連名で
火盗改メ時代の長谷川平蔵の実記録はないものかと、乏しい書架を眺めていて、最上段に『市中取締類集』(東京大学史料編纂所)が8冊あるのに気づいた。
脚立に乗らないと取りだせない高さなので、これまで、横着をきめこんでいた。
写真でご覧のように、1,2の函が赤茶けている。奥付を確かめた。
初版 復刻 定価
1. 1959.03.30 1,000
2. 1960.03.30 1,000
3. 1961.03.30 1999.09.30 12,000
4. 1962.03.30 1999.09.30 12,000
5. 1965.03.25 1999.10.20 12,000
6. 1966.03.30 1999.10.20 12,000
7. 1967.03.30 1999.10.20 12,000
8. 1969.03.25 1999.10.20 12,000
わかった。1,2は、卒業して勤めたS電機時代に、H堂のKさん経由で、無理して購入したもの。
2が刊行された時点で転職し、H堂との縁がきれた。
30余年後、収入も、まあ、安定したので、12倍に値上がりしていた復刻本を補充したのだ。
復刻は、もとができているから、1回に4冊ずつ。買うほうは大出費。
手にとって目次を確認していて、3.で長谷川平蔵の名が目に入った。
開くと、なんと、松平左金吾定寅との連名の伺書で、これまで、どの平蔵本でも目にしたことのないもの。
日付は天明8年11月19日---平蔵が火盗改メの本役、左金吾が平蔵の監視役を買って出て助役になって翌月。
内容は、『よしの冊子(ぞうし)』で、老中・定信方の隠密が、さも、左金吾の提案らしく報告しているもの。
「なんだ、平蔵の発議だったんではないか」
要するに---、
捕らえた盗賊を翌日、火盗改メの役宅に連行すべく、町内の自身番所にとどめておくと、食事をさせたり警備の人数をふやしたりと物入りも多くて難儀だし、万一出火でもあったらあれこれ手続きが大変だから、夜、どんなに遅くなってもかまうことはないから、役宅へ連行するようにしたい。
ただし、真夜中だと町方にとっても難儀ということもあろう、そのときは、その旨を願いでて、翌朝連行してくればいい。
これに関連したことは、この9月19日[平蔵の練達の人あしらい]に書いていたはず。
また、HP[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図絵』]の[現代語訳 よしの冊子]の第6回にも紹介している。
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コメント
≫「なんだ、平蔵の発議だったんではないか」≪
という事はこの高価な「大日本近世史料」も
「松平定信」側の一方的な見解による史料ということに
なりますね。
投稿: みやこの豊 | 2006.09.23 08:10
平蔵に関する新しい史料ですね。
平蔵に関する史料は従来「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」「御仕置例類集」「大武鑑」と講座でお聞きしてました。
平蔵は気配りの人でしたが、官僚組織に対しての根回しは余り得意ではなかったようですね。
投稿: 靖酔 | 2006.09.23 08:24
>みやこのお豊さん
いや、これは、松平左金吾が連名しているから、抹殺を免れた史料といえますね。
投稿: ちゅうすけ | 2006.09.26 16:41
>靖酔さん
ええ、官製史料の一つですね。
ですから、信頼度ばかなり高い史料といえます。
瀧川政次郎先生たちが、どうして見逃したのでしょう、不思議です。
投稿: ちゅうすけ | 2006.09.26 16:44