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2007.11.21

堀切菖蒲園

『葛飾区の歴史』(名著出版 1979.1,10)を眺めていて、松平左金吾(さきんご)の名前がでてきたので、驚いた。

この松平家は、久松松平だから、家康の実母・於大に関係する。
於大 

尾張国知多郡の豪族・水野忠政のむすめで、徳川広忠に嫁いだが、広忠今川家と和を結んだため離縁、織田方の阿古居城主・久松俊勝と再婚し、3人の男児をもうけた。

今川家が滅亡後、家康織田信長と結び、実母に再会。長男・定勝を伏見城代に任じ、その次男・定行が勢州・桑名藩主(11万石)から伊予・松山藩主(15万石)へ転じ、弟・定継が桑名藩へ入った。
(一時、白河藩へ転封されたときに養子に入ったのが定信)。
定勝の四男・定実は、多病を理由に藩主を嫌ったので2000石の旗本となった。
この旗本となった(久松)松平の子孫に、松平左金吾定寅(さだとら)がいる。
松平左金吾定寅の家系

『葛飾区の歴史』から引用する。

堀切の花菖蒲は、室町時代に時の領主窪寺胤次(たねつぐ)の家臣、宮田将監が奥州安積(あづみ)沼から移植した「花かつみ」の変化したものだと伝えるが、名所として知られるようになったのは江戸中期の寛政三年(1791)堀切村の百姓伊左衛門父子がニ代にわたって花菖蒲に興味をもち、各方面から変わり花の品種を集め、自家の田圃を利用して栽培し、江戸市街へ切り花として売り出したのがはじめである。
中でも出入り先の本所割下水に住む旗本、万年録三郎や麻布桜田町の菖翁(しょうおう)こと松平左金吾という花菖蒲を好んだ五○○○石の旗本屋敷から「十二一重(じゅうにひとえ)」「立田川(たつたがわ)」「羽衣(はごろも)」などの珍しい品種を譲りうけ---。

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(広重 堀切の花菖蒲 『葛飾区史 上巻』

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(小林清親 堀切花菖蒲)

ここに書かれた松平左金吾が、長谷川平蔵宣以(のぶため)のいちぱんの政敵だった当人かどうか、5000石は2000石の誤記としても、時代がいささか合わないでもない。

平凡社『東京都の地名 日本歴史地名体系13 (2002.7.10)は、

当村で花菖蒲の栽培が本格化したのは一九世紀初頭といわれ、百姓伊左衛門(小高園の祖)が花菖蒲の愛好家である旗本松平左金吾(菖翁)から多くの品種をもらい受けて栽培をはかった。

左金吾定寅は、先手・弓の2番手組頭だった長谷川平蔵宣以が病死するや、先手・鉄砲の8番手組頭からすぐに後釜へすわって、平蔵が培った士風を一掃にかかった仁だが、一年後の寛政8年(1796)に逝っている。
ということは、『東京都の地名』のいう19世紀初頭にはおよばないのである。

『葛飾区の歴史』の記述の「寛政3年(1791)」だと、同年4月28日から翌4年5月11日まで火付盗賊改メとして、長谷川平蔵の相役を勤めている。
菖蒲の花期である。職務をおろそかにして、花に凝っていたのだろうか。


【参考】
松平左金吾定寅に言及している[よしの冊子(ぞうし)]
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コメント

>伊左衛門父子がニ代にわたって花菖蒲に興味をもち、各方面から変わり花の品種を集め、自家の田圃を利用して栽培し、江戸市街へ切り花として売り出した

おお、江戸のベンチャー企業!と思いました。このへん、地場産業論として調べたら面白いでしょうねえ。勉強になります。

投稿: えむ | 2007.11.21 11:01

>えむ さん
さすがですね、専門々々で目のつけどころが異なってきます。
ぼくなんかだと、麻布桜田町(現・中国大使館)で、菖蒲を育てる水はどうしたろう? 下男は水運びにたいへんだったろうな---ぐらいのことしか思いつきません(笑)。
左金吾の屋敷は、2000坪説と、7000坪説があります。

投稿: ちゅうすけ | 2007.11.21 14:03

「花菖培養録」を著した松平左金吾定朝(菖翁)(1773~1856)の父は松平左金吾定寅です。

投稿: 大島の章 | 2007.11.22 22:01

長谷川平蔵から花菖蒲の歴史にまで話が発展して大変楽しませていただいています。

左金吾定朝(菖翁)の著した「花菖培養録」によりますと父定寅は天明年間の3年余り熱心に栽培をし、後やめたと書かれているので、平蔵の相役を務めた寛政の頃はそれほど花菖蒲栽培には傾いていなかったように思われます。

投稿: みやこのお豊 | 2007.11.23 09:41

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