鎧の渡し
鎧の渡し
明治5年(1872)以来、鎧橋が架かってれいるが、鬼平のころは渡し舟が小網町と萱場町を往来していた。
名の由来は、源義家が下総国へ渡ろうと、鎧を沈めて暴風雨を鎮めたことによると。
雪旦は、舟に数名の男女客を乗せ、遅れた猿回しを桟橋にあしらい、渡舟が庶民の足であったことを物語る。
小網町側の河岸には倉庫が余地なくびっしのと並び、商売のはげしさ、にぎやかさを告げる。
(塗り絵師・豊島のお幾 鬼平熱愛倶楽部)
広重は、町むすめを舟中に立たせて、なにを語ろうとしたのだろう。倉庫の切れ目---親父橋、思案橋のむこうの艶っぽい地区を、タイトル[鎧の渡し小網町]にことよせて、暗示したかったか。
日本橋川の規模、商売の殷賑さは、雪旦のほう巧みに表現しているとおもうが、どうだろろう。
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