後期田沼領の絵地図
12月20日の記事[相良の村々]に、「若年寄にのぼりつめた奥州信夫郡下村藩主・田沼玄蕃頭(げんばのかみ)意正(おきまさ)は、亡父・意次(おきつぐ)の領知だった相良へ国替えする幸運を射止めた」として、明治21年の静岡県榛原郡の地図に、25ヶ村中の16ヶ村に赤ドットを付して所在を掲出した。
不明だった9ヶ村を明らかにするために、SBS学苑パルシェ〔鬼平〕クラスでリサーチに長けている杉山さんに、江戸期の絵地図の探索を依頼しておいた。
『静岡県史』35冊中、『資料編10』の付録に、東北大学附属図書館所蔵の「遠江国絵図」があったと、カラーコピーを送ってくださったので、田沼領の村々に赤○を付して掲出。
12月20日の記事で不明としていた、堀切、大磯、平田、坂井、園、東中村、西中村などの村々の位置が明らかになった。
こんなふうに、英知がつながって疑問がとけていくのが、ネットの最高の喜びだし、ありがたみである。
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