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2006.12.10

家中への教諭

日時がさかのぼるが、田沼意次が老中を罷免・蟄居を命じられ、知行からまず2万石を召し上げられた天明6年8月16日から旬日を経た9月9日に、相良の家中諸士へあてた教諭文が『相良町史 資料編 近世(一)』(相良町 1991.3.30)に収録されている。
漢文なので、『同 通史編』に概略が載っているので、そちらの大意を補足しながら引用する。

老中罷免以後、家中に親しく会うこともなかったが、皆、心痛してくれているのであろう。

先だってのことは、意次にとっても思いもよらないことだが、皆々は難儀であったろうに、神妙に勤めてくれていると聞いて、皆々の心中を推しはかりながらも安心している。

田沼家は、ほかの大名衆とはちがい、いたって小身より取り立てられ、追々と繁栄してきた。
もっぱら、お役目を第一として勤めた分、家政がおろそかにになっていたことも否めない(つけとどけなどを受取ってしまう者もいたかも。つまり、脇が甘かったことを反省)。

いま、反省してみると、驕りとでもいえようか、家政不取締りとでもいうべきか、後悔することもある。
厳しく倹約を履行すべきであったかともおもう。

今後の家中の暮らし方については、万事に質素を旨とし、入用も減らすが、上下心を一つにして難局に対処していきたてい。

皆々においても、何事にも精を出し、諸芸におこたりなく、他家からあなどられないよう、公義へのご奉公が肝要である。
家中諸士は、武芸はもちろんのこと、学問にもはげみ、ゆだんなきよう、心がけられたい。

これはもちろん、上奏文とはちがい直筆ではなく、祐筆の手になもののようで、文章も意のあるところはわかるが、真情を正直に吐露している名文とはいいがたいけれど、家士をおもっていることは十分に察しがつく。

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