平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その3)
(承前)
水野出羽守が改めていうまでもなく、すでに、佐野善左衛門を使嗾(しそう)して田沼意知を殺害させたのは、白川藩主松平定信だと噂(うわさ)は江戸城内はもとより、下々でも根深くささやかれている。
だが、意次は更にその裏の裏を察していた。松平定信の背後にいるのは、まぎれもなく御三家であった。
佐野善左衛門は、菩提寺である浅草・東本願寺の塔中・徳本寺(現・台東区西浅草1-3-11)に葬られた。
米価の高騰などによる生活苦で不満をくすぶらせていた江戸庶民は、「世直し大明神」と書かれた幟を奉じた者たちに先導されて、徳本寺の佐野家の墓へ参ることで鬱憤をはらした。
幟を奉じた者が何者かも確かめないで。
寺社奉行は、公には、徳本寺への白昼の墓参を禁じた。
殿中で刃傷におよんだ犯罪者として処罰された佐野善左衛門であるから、当然の処置である。
佐野の家はその後に絶えたかして、いま、徳本寺の善左衛門の墓石ぼろぼろに欠けて、塔婆も香華のあとも見られない。
生まれながらに徳川家の一族の誇りを持つ人々にとって一介の成り上がり者が幕府を動かす権力の座についていることが面白くない。
ただ、それだけの理由で田沼父子に憎悪の牙(きば)をむく。
その証拠に、田沼意次が刃傷の翌日、将軍家治にお目通りを願い、倅(せがれ)意知の御暇願いをしたことに対して、水戸家の当主、徳川治保(はるもり)が、産褥(さんじゅく)でさえ七日の遠慮があるに、嫡子(ちゃくし)深疵(ふかきず)にて血なまぐさき身をもって登城するとは以(もっ)ての外だ、とののしったなぞというのも、意次の耳に入っている。
親ならば誰しも瀕死(ひんし)の我が子の枕辺(まくらべ)から一刻なりとも離れ難いに違いない。あえて、意次が登城したのは、けじめのためであった。
その心さえ思いやらず、悪態をつく人々は最初から、この刃傷に加担していたというべきであった。
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コメント
池波さんの「剣客商売」のこの事件についての記述後に、小兵衛が「もう武士の世は終わったのじゃ」と慨嘆しますが、こうして事件への反応を紹介して頂くと、確かに水戸治保の言葉などはどうも「武士としての筋・建前・規範意識」からも外れているように見えますね。時の権力者への庶民の反感をよりによって御三家が利用しようとする現象と、元禄赤穂事件のときの幕府側の対応を比較して見ていると、元禄の刃傷事件に際しては庶民がいくら吉良を悪役にしようとしても(実際に大衆芸能の世界ではそれが定着してしまいはしたものの)、政治権力がその感情をここまで安易に利用しようとはしていなかったと思います。
投稿: えむ | 2007.01.05 21:25
正月二日に親の墓参りの後、隣にある「万年山 勝林寺」の「田沼家」の墓所をお参りさせて頂きました。
今、平岩さんの「魚の棲む城」を読んでいて伺いましたと話したところ7月24日のお施餓鬼には子孫の方もお参りに見えると伺いました。
「勝林寺」は以前から知っていたのに田沼家のお墓の事は迂闊な事でした。
こんなご縁を大切に思い、お線香をあげさせて頂きました。
投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.01.06 01:21
写真をとるために、徳本寺へ行ってきました。
これまでも、何回も来てているし、ご住職の講話も受けていたのに、きょう、落ち着いて墓石を観察したら、ぼろぼろに欠けたなかにも、「貞」の字が残っていた。
善左衛門の元服名は「政言(まさこと)」だから、「貞」の字は変だなと思った。
それで、佐野家の元服名を全員調べてみたが、徳本寺を香華寺としているのは善左衛門の佐野家だけ。それも始祖から。
とすると、これは「佐野善左衛門家」の墓とするのが正しいのではないかと思った。
投稿: ちゅうすけ | 2007.01.06 03:11
>永代橋際蕎麦やのおつゆ さん
田沼家の菩提寺---勝林寺は、駒込から染井霊園に移転しているって記憶していましたが、いま、電話帳を確認したら、駒込7-4-14になってました。
これが正しいのでしょうか。
投稿: ちゅうすけ | 2007.01.06 03:20
はいそうです。大きな染井墓地の坂道の下の住宅街の中にあります。
意次が下屋敷の260坪を寄進(1780)の後、寺は幕末から明治になっても規模は殆ど変わらなかったようです。
明治40年に本郷どうりの拡張などがあって、先に墓地の移転、昭和15年にはお寺も現在の場所に移転。
戦災のあと昭和28年に本堂が再建され現在にいたっているとのことです。
投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.01.06 10:10