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2007.02.22

養女・お順

[1-1 唖の十蔵]の事件は、天明7年(1787)の春から初冬へかけての事件である。

長谷川平蔵は、この前年の6月に41歳という若さで先手弓の第2組の組頭に抜擢されたばかり。
翌7年の9月19日には、火盗改メの冬場の助役(すけやく)に任命された。
『鬼平犯科帳』が、前任の火盗改メ・堀帯刀に替わって---としているのは、池波さんに魂胆があっての誤記とみる。つまり、火盗改メというこれまでほとんどなじみのなかった役職を登場させた。これに本役(ほんやく)、助役(すけやく)があるなどと書いては、読み手が混乱するとの配慮であろう。

[唖の十蔵]の篇末で、平蔵は妻女・久栄と、こんな会話をかわす。

年があけた天明8年(1788)の正月五日。
役宅の一間で朝飯をしたためつつ、平蔵が妻女の久栄(ひさえ)に、
「あのな---」
「はい?」
「去年死んだ小野十蔵と、ほれ、かかわり合いになり、仙台堀へ浮かんだおふじという女な」
「はい」
「その女は、あの小間物屋の助次郎の子を生んだ」
「はい。そのようにうけたまわりました」
平蔵夫婦はニ男ニ女をもうけていた。p46 新装p49
Photo_294

明けて平蔵は43歳、長男の辰蔵は19歳だから、久栄18歳のときの出産とすると、夫より6歳下の37歳。長女は17歳か。
夫婦にニ男ニ女がいたという出典は『寛政重修諸家譜』である。次女は小説ではお清と名づけられている。
次男の正以(まさため)は同族の長谷川正満(まつみつ)の養子となっている。

「それで、な---」
「はい?」
「盗賊の子と知って、押上村の喜右衛門は、そのお順という子を持てあましはじめたそうだ」
「まあ---」
「おれたちがその子を引き取ってやろうとおもうが、どうだな」
「はい。おこころのままに」
「こころよく、引きうけてくれるか、そうか」
あたたかい、冬の朝の陽ざしが縁いっぱいにながれこんでいるのをながめつつ、長谷川平蔵は。つぶやくように、こういった。
「おれも妾腹(めかけばら)の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ---」

お順の存在を、池波さんは『寛政譜」の左に、ぽつんと記されている女子に見たのであろう。すべての子を久栄が生んだとは考えられないが、養女ならそれなりの手続きを記すのが至当である。

ついでにいうと、「おれも妾腹(めかけばら)」の子---というのは正確ではない。
亡父・宣雄は、先代の三弟の子として生まれた。ふつうなら、家督の目はなかった。それで家女に平蔵を生ませ、一つ家で暮らしていた。
ところが、従兄の当主が病死、家名を守るために、急遽、従姉妹の婿となって家督したが、家女もそのまま居座った---というより、病身の妻が家婦の務めができないので、彼女がすべてをとりしきったふしがある。これは妾という存在ではないとおもうが。

いや、お順のことであった。
寛政5年(1793)の梅雨明けのころ事件である[4-1 むかしの男]に登場したときは7歳。その後、杳(よう)として姿をあらわさないのはどうしたことか。
 

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