人足寄場の専用舟
[1-8 むかしの女]で、3日に一度は訪ねる人足寄場から、長谷川平蔵が帰ってくるのを、針売りの婆・おもんが船松町の火の見やぐらの陰で待っていた。
石川島と船松町の船着場の地図や、『江戸名所図会』の[佃島]の対岸にちょっぴり天頂をのぞかせている火の見やぐら は、左の色変わり文字をクリックして確かめていただきたい。
長谷川平蔵は寄場の役人二人につきそわれ、 小舟で船松町の渡し場へもどり着いた。p257 新装p272
これまで、この1行を見落としていた---というか、誤認していた。
というのは、船松町の渡し場は、対岸の佃島の船着場とを結んでいる。で、つい、平蔵もその渡し舟に便乗したように思いこんでいたのだ。
(寄場には、専用舟がある)
そう、これは確かだ。だから、
(平蔵が渡し舟なんかに乗るはずはない)
と、こうこころの中で反論していたのだ。
専用舟を所有していたことは、寄場の人足たちに心学の講義を聴かせるため、京から江戸へくだってきていた中沢道ニ(どうじ)を月に3度ずつ、神田薪河岸まで送迎に使っていたから、承知していた。
中沢道ニを平蔵に引きあわせたのは、本多弾正少弼(しょうひつ)忠籌(たたかず)だったという。30歳前後の少壮藩主たちをそろえた松平定信の幕閣の中で、唯一といえるほど50歳代の重鎮で、平蔵の力量を買っていたのもこの仁と。奥州・泉侯。
道ニの説話は大成功で、感涙にむせびながら聴く人足が多かったとも。
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