[女掏摸お富]と くノ一
[2-3 女掏摸(めんびき)お富〕は、『オール讀物』1968年(昭和43)10月号に発表された。
長谷川平蔵が46歳、従兄弟の三沢仙右衛門は53歳の寛政3年(1791)の初夏の事件。ヒロイン女掏摸・お富25,6。
池波さんは、[女掏摸お富]の3年前の1960年、 『週刊朝日別冊 秋風特別号』に[市松小僧始末]という、実在していた掏摸を短篇に仕上げている。
ネタの出所は、三田村鳶魚[五人小僧]( 『泥棒づくし』河出文庫 1988.3.4)の市松小僧であろう。
初代佐野川市松が着た黒白の石畳模様がゆえんの市松模様を身につけていたことからの〔二つ名(異称)〕であると。
それほど華奢で小粋なイケメンだったらしい。
池波さんの師匠筋の長谷川伸さんには、青年時代に市松小僧のような美貌の掏摸の友人がいた。
若い女のように美人だったから〔くノ一〕が渾名(あだな)だった。
師が1928年(昭和3)に書いた[舶来巾着切]は、この〔くノ一〕を主人公とした戯曲である。
ついでに記すと、戦後に流行った女忍者を「くノ一」と呼んだのは、美少年〔くノ一〕を主人公にすえた長谷川伸さんの一連の小説や戯曲に由来している。
〔二十六日会〕〔新鷹会〕の勉強会で、長谷川伸師はおしげもなく、自分の体験をすべて公開したとエッセイ『石瓦混肴』にある。
捨て子だったお富を拾い育ててくれた掏摸一家の元締(もとじめ)・〔霞〕の定五郎が課した修行---どんぶりに盛った砂の中へ2本の指を出入りさせて鍛える掏摸の基本技なども、長谷川伸師から聞きもしたろう。
また、師の初期の巾着切もの小説や[舶来巾着切][掏摸の家]などでも学んだであろう。
長谷川伸師の書きものを読むと、池波さんがこの師から得たものは、はかりしれないほどあることがわかってくる。
池波さんに会得する強い意志が備わっていたからであることは、いうまでもない。
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