〔荒神(こうじん)の助太郎(2)
「田中へは、ある調べごとがあって---」
といってしまってから、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)は、父・宣雄(のぶお)に念をおされた注意を思い出した。
本多伯耆守正珍(まさよし)侯に迷惑がかかってはいけないから、田中城しのぶ集いのことは、口外してはならない---ということであった。
しかし、旅の絵師というふれこみの助太郎は、それ以上、銕三郎の田中城下行きの目的を聞こうとはしなかった。
照れかくしに、銕三郎は、画帳を拝見できないか、と持ちかけた。
助太郎の関心を、田中城からそらせられると思ったのだ。
ところが、助太郎は、あさぐろい顔にやさしげな微笑をうかべて、しごく念入りに断ったではないか。
「いえ。人さまにお目にかけられるような腕でも代物でもございませんので。ほんの心覚えでこございますゆえ、どうぞ、ご勘弁くださいませ」
「さようなれば---」
といいながら、銕三郎は、
(妙な仁だな)
ふつう、自分の腕のほどをみせたがるのが人情であろう。
(なにか、見られては困るものが描かれているのやも知れない。男と女の咬合の秘画とか---)
銕三郎は次の言葉をうしなった。
茶店への心づけをすましたところで、助太郎が聞いてきた。
「今夕は、三島宿(しゅく)でございますか?」
「そのつもりでございます」
太作が応じた。
「ここから1刻(とき 2時間)も下れば宿場(しゅくば)ですが、お宿は、もう、おきまりでございますか?」
「はい」
「ご迷惑でなければ、宿(しゅく)まで、ご一緒いたしましょう」
下りながら、あれが初音(はつね)の御座松だと解説しながら、
「松にうぐいすというのは、どんなものでしょう」
とか茶化して、自分から笑った。
(やっぱり、さっきの画帳のことにこだわっているのだ。いよいよ秘画にまちがいなし)
(磯田湖龍斎)
14歳の銕三郎は、描かれているとおもえる姿態を空想して、体をほてらせた。
父母には打ち明けていないが、このごろ、夜、寝床へ入ると、このような妄想がしばらくやまない。
儒塾へ誰かが持ち込んだのを回覧して以来なのだ。
三島では、三島神宮に近い本陣・樋口伝左衛門方の前で、別の宿へ行く助太郎と別れたが、遊女たちが支度をしている家の前を過ぎたとき、助太郎がちらりと銕三郎を盗み見た。
(『東海道名所図会』 三島宿・遊女 塗り絵師:ちゅうすけ)
気づかぬふりをしていたが、銕三郎の顔がすこしほてったのを、見破られたかもしれない。
食事がおわって、
「太作。遊女屋でもひやかしてこないか」
「とんでもないことでございます。若さま。太作をいくつだとお考えですか。そういう年齢はとっくにすぎましてございますよ」
「そうか」
「あ。若さまがいらっしゃるのでしたら、殿さまからそのためのお宝(たから)をお預かりしております。奥方さまには内緒とおっしゃいました。どうぞ、これを」
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コメント
なんていうかさばけた、いいお父さんですねえ。思わず書き込んでしまいますが。
投稿: えむ | 2007.07.15 15:40
まあー!!! なんとさばけた「Who's Who」
助太郎の画帳の中身が興味ありますね。
果たして銕三郎の推理はあたっているでしょうか?
投稿: みやこのお豊 | 2007.07.15 16:03
>エムさん、みやこのお豊さん
銕三郎は、いったい、いくつで初体験をしたのでしょうね。
笠森お仙が春信の絵で一躍有名になったのは13歳の時だといいます。彼女、お庭番の娘でした。
ということは、銕三郎が14歳で---ね。
投稿: ちゅうすけ | 2007.07.15 18:54
池波さんの故事に倣ってはどうでしょう。あるいは「おとこの秘図」とか、資料がありそうですが。
投稿: えむ | 2007.07.15 19:11
鬼平の番外編でもありますが、鬼平と父・宣雄の時代の江戸を調べなおしているつもりです。
そうしたら、たまたま、銕三郎の初体験になってしまいまして。
というのは、池波・鬼平は、40歳代中ごろから、「あっちのほうはもう終わった」といってます。
岸井左馬之助にも「あんたは初めが早かったから、終わりも早い」とかなんとか冷やかされていますね。
それで、14歳で経験させました。
投稿: ちゅうすけ | 2007.07.24 17:25
池波さんは、手張りして儲けていたので、16歳で、一定の金額を吉原のある楼にあずけていたといってます。
いや、銕三郎のように、一人で行くのは、やはり、当時でも珍しかったでしょうね。
たいてい、先輩面したのが、遊びの手ほどきをしたものですよ
投稿: ちゅうすけ | 2007.07.24 17:28