〔荒神(こうじん)〕の助太郎(4)
銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)とお供の太作は、道中記が目的ではない。
しかし、銕三郎にとっては、生まれて初めての遠旅である。土地々々の風物人情を、写真に撮るように記憶にとどめてきた。
ところが、今朝からは、電池が切れたカメラみたいに、風景は目に入っても残らない。
昨夜のお芙沙の、張りのある白い姿態の一つひとつが、頭の中というより、14歳の銕三郎の躰のすみずみをかけ巡(めぐ)っている。
あちこちを不意打ちでもするように這いずりまわった形のいい唇。
首にからんだ双腕のつけ根の茂みが発する気をそそる香り。
押し上げてくる腰。
胴をしめつけていながら、その瞬間に突きあげて痙攣した太腿。
躰をいれかえたときに胸をくすぐってきた乳頭。
余韻に、目じりから涙滴が一筋ながれ落ちた横顔。
着物をまとうときの、だるそうな動きと、満ちたりた笑みをうかべている浅いえくぽ。
空想していた秘画よりはるかに艶っぽく、謎めいていて、この世のものとはおもえない甘美さであった。
無理もない。男が人生でいくつがとおる関門の一つ---それも、もっとも男の本能にしたがった関門を通過したのである。
さまざまにおもいめぐらして当たり前であろう。それでこそ、相手へ儀礼を十分につくしたことになるというものだ。
が、その分、太助への言葉も少なくなってしまうし、千本松原もうわの空だった。
原に近づくにつれ、今朝の銕三郎も、さすがに正気にもどった。
正気にもどしたのは、愛鷹山(あしたかやま)の陰から、ぬっと全容をあらわし、見る者にのしかかるように迫ってくる富士だった。
(広重 朝の富士 『東海道五十三次』)
4月初旬だから、5分ほども残っている雪が、白衣装をまとっているかのように気高い。
原の茶店で一休みして、よもぎ団子をとった。
「太作。沼津宿で別れた、あの助太郎という男、何者とおもう?」
「若さまは、どうおおもいでございます?」
「商店の絵をくれたから、大工かなにか。そんなふうには見えなかった---」
「人は、見かけどうりとはかぎらないことが多うございますれば---」
「なぜ、大店(おおだな)の姿を写しているのであろう?」
「絵図面師かも」
「絵図面師?」
「いろんな家の絵を写してきて、大工の棟梁に売る商売があるときいています。棟梁が示して、施主の考えを導くためのものだそうでございます」
「しかし、京の荒神口では、女房と太物の店をだしているとかいっていた。屋号も〔荒神屋〕とかで、変わっていた」
「どこか、変わってはいましたが、あれは、大勢の人を束ねている仁でございますね。並みの太物屋の亭主ではありますまい。気くばりが尋常ではございませなんだ」
「どうして、絵図などを呉れたのであろう?」
「若さまに、謎を置いていったのではございませんか」
「なんの謎を?」
「ま、もう二度と会わない人のことです。忘れましょう。覚えておくことは、ほかにありすぎますゆえ」
「そうだな」
「それより、若さま。お話しになりたかったのは、助太郎どんのことではございますまい」
「いいそびれていた。太助。ありがとう」
「なんでございますか、水くさい」
「銕三郎に、3人目の母者ができた---江戸の家で待っているくれている実の母者、父上の形ばかりの奥方で9年前に亡くなった義理の母者、そして、ゆうべ、縁(えにし)を結んだ仮(かりそめ)の母者」
「若さま。もう、おっしゃってはなりませぬ。さようなことは、一切、若さまの胸の中であたためておおきなさいませ」
「太作。戻りにも、3人目の母者に会いたい。いや、会わせてほしい」
「万事、太作めに、おまかせおきを。それより、お役目を早くはたさねば---」
【ひとりごと】
もちろん、荒神の助太郎とは、この後、銕三郎は会うことはないかもしれない。
しかし、長谷川平蔵宣以となり、火盗改メの長官となって、おまさを通して、〔荒神〕のお夏という女賊を知った。
お夏は、助太郎が妾に産ませた娘だった。
お夏が12歳の時、助太郎は病死した。平蔵が火盗改メの長官となる6年前のことだ。
助太郎が束ねていた〔荒神〕一派は、お夏を頭にいただいて上方で盗(おつと)めを働いていたという。
もちろん、12,3歳の娘に盗賊一味の実際の首領として采配がふるえるわけはない。しかるぺき副将がいたのだろう。
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