『よしの冊子(ぞうし)』(7)
よしの冊子(寛政元年(1789)4月26日より)
一. 上州(群馬県)の大盗人:進藤徳次と申す者、長谷川平蔵の組与力が出張って召し捕ったとか。この徳次は進藤流の剣術をよく遺い、大の手利きのよし。この徳次、手下の者を大勢引き連れ、白昼に大路をあるく大盗人で、評判の者のよし。先日、江戸の麹町で召し捕らえた大盗人もこの徳次の手下だったとか。
【ちゅうすけ注:】
進藤徳次は、徳次郎とする史料もある。真刀、新稲、新道とも
書くらしい。茨城県の金井村(現・笠間市金井)の生まれで、埼玉
県大宮宿(現・大宮市)の村はずれのお堂にひそんでいるところを
長谷川組に捕まり、処刑されたときは二十代後半だった。
剣術は生地に近い石井(茨城県笠間市)の明神社の神職に一刀
流をならい、自分の工夫をくわえて真刀流と唱えた。長谷川組が
捕らえたときの模様を『夕刊フジ』に[グレと大どら説]と題し、
つぎのように書いた。
長谷川平蔵が火盗改メの長官(おかしら)として卓越していたのは、犯罪社会に通じていたことが第一だと思う。
そうはいっても、『鬼平犯科帳』に書かれているように、若いときに継子(ままこ)いじめにあってグレ、暗黒街に足をふみいれた体験が益しているというつもりはない。
じつをいうと、ぼくは『犯科帳』の19歳前後の鬼平グレ説には異論ももっている。
銕(てつ)三郎を名のっていた平蔵が19歳のとき、本家の当主・長谷川太郎兵衛(55歳)は火盗改メをつとめていた。
甥(おい)が博打(ばくち)場へ出入りしているのを、役目がら見逃すだろうか。
ぼくの推測はこうだ。
本家の伯父の助手として情報をとるために、遊里へよく潜行していたと。遊びたいざかりの齢ごろ、銕三郎は二つ返事で引きうけた。
当時の記録に「大どら」だったとある。
「どら」は「どら息子」の「どら」で放蕩のこと。
ふつうは女遊びか道楽ぐるいだ。
平蔵が犯罪社会に通じていたというのは、彼らの情報網を逆に利用していたふしがあるからだ。
関東・東北を荒らしまわっていた神道(しんとう)小僧(新稲とも書く)という巨盗がいた。
手下は6~700人とも。
長谷川組がこの巨盗を追い詰めた。
神道が行く先々の町や村に平蔵の手者がひそかに出張ってきているとのうわさを、前科者を通じてまきちらした。
さすがの神道も逃げまわるのが精いっぱい・尾羽打ち枯らして大宮宿(現・さいたま市)のはずれのお堂にひそんでいるところを御用!となった。
永い逃亡生活の果てのぼろぼろの着物をまとっている彼に、平蔵は「神道小僧ともうたわれたほどのおまえが、そのなりで牢へ入っては、格好がつくまい」。
こういって自腹をきった3両で石川五右衛門がき着るような派手派手の衣服を買いあたえ、犯罪者特有の虚栄心をくすぐった。
『明日にも死罪になる者に無駄な出費をなさる』。
与力・同心たちは心の中で思ったが、平蔵の目論見(もくろみ)は違う。
『このことは、ツバメが飛ぶほどの早さで獄中獄外の盗賊仲間へ広まっていくにちがいない。そうなると、つかまるなら長谷川組にと考えて自首してくる奴も出てこよう。それで節約できる捜査費用は、3両の比でいあるまい』
事実このあと、逃げおうせまいとあきらめて、平蔵のところへ自首してくる盗賊が多くなった・
したたかな盗賊を責める火盗改メの拷問には定評がある。
悲鳴を牢外まで流して見せしめにしたほどだ。
が、平蔵は「おれは拷問などしなくても、犯人はおれにはすらすらと白状するからな」と語っていた。
これも、盗賊社会に伝わることを狙っての広言だ。
聞いた罪人は、拷問されないなら、長谷川組に捕まろうと自首してきた。
一. 長谷川はすべてこのごろ評判がいいところへもってきて、このあいだ播磨屋吉右衛門を召し捕ったので、いよいよ評判があがっている。
【ちゅうすけ注:】
播磨屋吉右衛門は下谷かいわい(上野近辺)の岡場所の顔役
で、十手も預かっていることをいいことに、いろいろと悪行を重ね
ていた。
一. ことに長谷川組の与力同心はたびたび本役加役の両方を勤めてきているのでいささかも抜け目なく、とりわけ盗賊や火事のことについては少しもぬかりがなく、その巧者ぶりは比べる者もないみたいである。この時節をとくと呑みこんでまことに一心不乱に打ちはまり、召し捕りもの出精しているので、松平左金吾はかげも形もなきよし。
弓の2番手へ長谷川平蔵着任年から50年さかのぼっての先手34組の火盗改メ拝命組頭数と組下の火盗改メ経験月数りスト
【ちゅうすけ注:】
長谷川組---弓の2番手の経験月数の累計144月は群を抜いて
いる。
これだけ経験月数が多いと、組下はベテランになる。
父・宣雄が火盗改メを勤めた先手弓の8番手へは、息・山城守
宣義(のぶのり 幼名・辰蔵)も組頭に任じられている。
一. 堀帯刀が乗馬を上覧にいれるためにまかり出たよし。ねんごろな上意を頂戴し、ありがたく思っていると吹聴しているよし。帯刀、人物はよろしい様子。
一. (京橋の)中橋にいた大盗賊のところへ2人の同心がゆき、この盗賊を捕らえにかかったところ、怪力の盗賊は同心の脇ざを引きぬき、1人に傷をおわせたよし。同心も必死に働き、ようやく両人で盗賊を取りおさえ、大家どもを駕によび寄せたところ、大家どもはかえって盗賊に荷担し、混雑にまぎれて盗賊を押さえるふりをして同心を押さえ、盗賊をわざと逃がしたよし。
というのも、右の盗賊がその地へ住んでいたたに、つね日頃、この近辺へはほかの盗賊がやってこず、このあたりはしごく穏当だったので、大家どもは盗賊に荷担した次第。なんともふとどきな大家ども、といわれているそうな。
| 固定リンク
「221よしの冊子」カテゴリの記事
- 『よしの冊子(ぞうし)』(4)(2007.09.05)
- 現代語訳『よしの冊子』(まとめ 1)(2009.08.16)
- 隠密、はびこる(2007.09.02)
- 『よしの冊子』中井清太夫篇(5)(2010.01.28)
- 『よしの冊子(ぞうし)』(33)(2007.10.05)
コメント