若き日の井関録之助(5)
「長谷川先輩。やりましたねえ」
井関録之助(ろくのすけ 18歳)が、感嘆の声をあげた。
今戸の〔銀波楼〕を出て、今助(いますけ 20がらみ)に送られて今戸橋をわたり、浅草金竜山下瓦町の竹屋の渡し場から対岸の三囲(みめぐり)稲荷社の参道への舟着きへ。
水戸殿の下屋敷の前を通って、源森川に架かる枕橋ぎわの〔さなだや〕で、蚤(のみ)そばが茹であがるのを待っているときである。
さいわい、夕刻前で、ほかに客はいなかった。
【ちゅうすけ注】〔さなだや〕は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[蛇(くちなわ)の眼]p7 新装版p7、同[妖盗葵小僧]p141 新装版p149 巻12[いろおとこ]p30 新装版p32 に登場。また、短篇[正月四日の客](『にっぽん怪盗伝』角川文庫に収録)にも。
先刻、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 58歳)が寄こした紙包みを銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)がひらくと、元文1両小判が光っていたのである。
(元文1両小判 ほぼ原寸 『日本貨幣カタログ 2006』より)
「2分(2分の1両)が、たちまち、倍の1両になって返ってきたのだから、すごいや」
「ばか。いじましいことを言うでない」
【ちゅうすけ注】1両は4分。1分は4朱。1朱は250文=ただし、鬼平のころには375文前後。
ちようど、そばがきたので、しばらくは、たぐることに専念した。
「うまかった」
これは、蕎麦湯をすすりながらの銕三郎が歎声。
箸を置いた録之助が、
「先輩。ここは、わたしが払わせていただきます」
「16文で、大きくでたな。その腹に巻いた銭箱から払うのだったら、ついでにこの小判をくずして、借りた2分をとってくれないか。利息はつけないぞ。彦十(ひこじゅう 32歳)どのに使い賃をわたしたり、忠助(ちゅうすけ 45歳前後)どののところも払いもたまっているのでな」
「〔盗人酒場〕の呑み代は、おまさ(11歳)さんの手習い師範料で棒引きではなかったんですか?」
【参照】おまさの手習い師範料 2008年5月3日[おまさ・少女時代] (3)
「師範料といえば、〔木賊〕の若い衆への師範料も、半分貰うぞ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)どのところの支払いもとどこおっておるのでな」
「先輩。あれは、半分と言わないで、全部、おとりください。わたしには、用心棒料があります」
銕三郎は、背をただして録之助に、
「そうではないぞ、録。〔木賊〕の林造どのとの話はついたが、われわれが振り棒で殴った者たちの怨みはそう簡単に消えるものではない。録の代稽古料のほとんどは、あの者たちとの飲み食いに消えるとおもっておいたほうがいい」
「励みます」
「それからな、言いにくいことだが---お元(もと 31歳)どのとの、なにのこと、鶴吉坊に気づかれてはおるまいな」
「ないとおもいます」
「まさか、裸で睦みあっているのではなかろう?」
(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)
「------」
「やっぱり---そんな姿態でやっていては、たちまち、気づかれる。6,7歳の子といえども、町方の子はそういうことには鋭いものだ。幼いころに大人の色事を見てしまった子は、ぐれやすい。くれぐれも隠して行うんだな」
「気をつけます」
「別々の部屋に寝ているんだろうな?」
「お元と鶴吉坊がひとつ部屋に、わたしはその隣の部屋に---」
「部屋は2つしかないのか?」
「いえ、全部で4つ---」
「それでは、3人とも別々の部屋にすることだ。そして、睦むのは、鶴吉坊からいちばん離れた部屋にしろ」
録之助の父親が、吉原の河岸女郎と心中して30俵2人扶持の小禄の家をつぶしたのは、このときから6年後のことである。
【ちゅうすけ注】池波さんは、『江戸切絵図』は主として、最初に手に入れた〔近江屋板〕を愛用していた。で、くだんの〔さなだや〕を〔近江屋板〕で確認したら、なんと、源森川(北十間堀ともいう)の河口には、中堤をはさんで、源森橋と枕橋がかけられている。
〔尾張屋板〕は源森橋・枕橋ともいう---として1橋だけ。現在は枕橋の1橋。
このあたりは、時間をかけてさらに文献をあたってみたい。
(赤○=〔さなだや〕)
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