納戸町の老叔母・於紀乃
「甲府の丹後(たんご)からの飛脚便がとどいての。銕三郎どのも知りたかろうと存じたのでな---」
納戸町の長谷川家(4070石)の老後家・於紀乃(きの 69歳)が、ほとんど歯のないふがふが声で言い、書状を示した。
(長谷川一門家系図 銕三郎=宣以 於紀乃=正誠夫人)
丹後とは、於紀乃の実家・八木家(4000石)の当主で、於紀乃には甥にあたる、丹後守補道(みつみち 55歳)のことで、この10年來、甲府勤番支配(役料1000石)を勤めている。
於紀乃に言わせると、支配とは言い条、実体は「山流し」同然と。
夫・讃岐守正誠(まさざね 享年69歳)を5年前に亡くし、毎日をこともなくすごしていて退屈していた於紀乃は、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)がたまたま話した、巨盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の下で女だてらに軍者(ぐんしゃ)として盗(つと)めている、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)に興味をもった。
多い目の旅費を銕三郎に与えて甲府へ行かせたが、満足する探索結果が得られないなかったので、甥の丹後守に書簡で言いつけて、再調査を依頼したのである。
その丹後守からの書状によると、中畑村の村長(むらおさ)・庄左衛門(しょうざえもん 55歳)は、銕三郎に話した以上のことは言わなかったという。以上というより、ありようは、以下であったらしいことを、銕三郎は文面から察した。
新しい報らせは、お竜の母・お飛佐(ひさ 47歳)の居どころがわかったことぐらいであった。
4年前から大月宿の安旅籠〔桂屋〕又兵衛の飯炊きをしながら、住まいは別に借り、村の16になるむすめと同棲している。
むすめの親が、みっとともないからと、なんども掛けあいに行っているが、むすめのほうが帰るのを拒否しているかたちであるらしい。
「な、銕三郎どの。お飛佐は、このむすめとできておるのじゃろうて。女男(おんなおとこ)は血すじのような---」
「しかし、叔母上。お飛佐はお竜を産んでおります。おんな同士の睦みでは、ややはできますまい」
「それがの、とつぜん、おんなのほうがよくなるものらしい。紀乃は、もう、男もおんなもわずらわしいばかりとおもうがの」
(いつわりを申されるな。拙が訪れると、生き生きとなさるくせに)
しかし、銕三郎はそのことは口にしなかった。
「どうじゃかの、銕三郎どの。も一度、甲州路を歩いてみるかの?」
「せっかくですが、初目見(おめみえ)の予備面接が近いゆえ、そのような勝手は許されませぬ」
「残念じゃのう。この紀乃には、かんがえがあるのじゃが---」
「お考えとは---?」
「安旅籠の賃金で、一戸を構えられるはずはない。お竜からの仕送りがあるとにらんだ。そこいらをあたれば、お竜の居どころもしれように」
「ご明察です。丹後守さまへそのように文をお送りになったら、いかがでしょう?」
銕三郎は、下ぶくれの顔の丹後守のしかめ面をおもいうかべながらすすめた。
「いま、したためるゆえ、町の定飛脚屋へとどけてくだされ」
さすがに、公の継飛脚へ頼めとはいわなかった。
飛脚料として元文1分金をだした。
(元文1分金 『日本貨幣カタログ』より)
江戸から甲府までの普通便(4日限)の書状の定飛脚の運賃は、銀6分(約50文)であったから、銕三郎は、返り道に飯田町の飛脚屋へ立ち寄るだけで、1200文ばかりの駄賃をえたことになる。
これは、3朱と200文。まさに濡れ手に粟。
【ちゅうすけ注】横井時冬『日本商業史』(大正15年刊 原書房復刻 1982.4.10)によると、『江戸定飛脚仲間定則運賃』(大坂物価表よる)は、書状1包につき、
6日限 銀2匁
7日限 銀1匁5分
8日限 銀1匁
10日限 銀6分
これから換算し、江戸-甲府の定飛脚賃を試算した。
【ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさまざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
ぜひ、ごいっしょに散策していただければ、うれしい。
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コメント
(゚▽゚*)(o^-^o)ヽ(´▽`)/(*^-^)
投稿: tomoko | 2008.10.05 05:19
飛脚賃がわかり、勉強になりました。
投稿: kayo | 2008.10.05 05:23
>tomoko さん
顔文字などによる連日の讃辞(字?)をありがとうございます。きっと、お若いお嬢さんなんでしょうね。tomoko さんのような若いお嬢さんもアクセスしてくださっているとおもうと、老骨を打つ鞭にも力がはいります。
投稿: ちゅうすけ | 2008.10.05 06:12
>kayo さん
お認めいただいた飛脚賃、甲州街道分でなく、東海道分ですが、まあ、推量の手がかりとおもいまして。でも、速達でなく、普通便は思ったより安いので、おどろいています。
一人の飛脚が運べる量は、いまの郵便車と異なり、知れていますのにね。
投稿: ちゅうすけ | 2008.10.05 06:16