『甲陽軍鑑』(3)
『甲陽軍鑑』 (1)にあげた[ちくま学芸文庫]の現代語訳は、内容はすばらしいのだが、残念なのは、本篇[上巻に相当]のみらしいことである。
訳者・佐藤正英さんに、ご苦労ではあるが、つづいて末書([中巻]{下巻]に相当)もお訳しいただくことを望みたい(それには、[上巻]の売れ行き次第であろうから、当ブログにアクセスしてくださっている鬼平ファンの方がたも、注文・購入にご協力していただけると、版元も企画をすすめるであろう---冗談のような、補足を。当ブログにはアフリエイトはついていません。文庫が売れ行きとはまったく無縁です)。
小和田哲男さん『甲陽軍鑑入門』(角川ソフィア文庫)に、末書[上巻]に「信玄公五ッの御作法」の一部が収録されているので、非才をかえりみずに現代語訳を試みる。
信玄公五ッの御作法は、
1. 天命を晴信(法名・信玄)公は大事になさっていた。
例を記すと、武田の家は、新羅三郎公から晴信まで27代、弓矢をとって誉れのなかったお方はいなかった。さらに27代目の晴信公においては、その武名・勇名は、とりわけ、高くなった。
晴信公は31歳で法体におなりになり、機山・信玄・徳栄軒と、禅知識のように3ッの名をおつけになったわけは、代々久しく武田一門の地獄をおもんぱかられ、天道を大事におおもいになったからである。
2. 国持ちの大将衆と通じあうと、、こちらのお使い衆にその国の絵地図を描かせ、山・川・城のもよう、山の樹木の茂り具合、川の水位のあんばい、瀬の変化の仕よう、道路事情とその難所を土地のものから聞き取って報告させ、熱心に研究なさった(中略)。
【ちゅうすけ注】『孫子』は[地形篇]を設けて、将たるものは地形をよく知り、それぞれの特性に対応した戦術を立て、さらには臨機応変すべきことを説いている。信玄が、絵図を描かせ、山・川の状態を報告させているのは、将たるものの務めであろう。
盗賊のお頭も、押しこみ先の家族や従業者の人数や間取りのほか、取引の動き、退路の確保など、配下の逃避の万全を調べつくしておかないと、手下衆もしたがってこまい。
3..戦陣にあたっては、動員部隊の規模、部隊の編成、合戦の陣形と始め方、退(ひ)くころあい---そういった戦いのすべてを、信玄公は秘密裡にすすめられた。最高軍議で発言できたのは、馬場美濃、内藤修理、山県三郎兵衛、高坂弾正の4人にかぎられていた。
その軍議を傍聴できのは、土屋右衛門尉、小山田兵衛尉、曽根内匠、三枝勘解由左衛門、真田喜兵衛の5人にかぎられていた。
【ちゅうすけ注】『孫子』は、
「兵者詭道(きどう)也
戦争は、敵をだますことである---と喝破している。古来から「謀(はかりごと)は密なるをもってと尊しとなす」とも、「謀(はかりごと)を帷幄(いあく)に廻(めぐらす)」ともいうごとく、軍略・作戦は絶対極秘でなければならないし、無情のものでもある。信玄の軍議の参加者がごく少数の重臣中の重臣にかぎられていたのは、むぺなるかなといえよう。
盗(おつとめ)みの計画も同然である。
4.武家に生まれ、武士の道を大事とおもっておられ、忠節・忠功にはげんだ者をそれ相応に賞された。一方で、功のない者には賞はなかった。その扱いの違いは、天と地ほどであった。
大身・小身にかかわらず、功のあった者への賞されようは、他国とはくらべものにないほどおこころがこもっていたから、これを見聞きした者がいずれも、忠節・忠功にはげむような仕組みにこころがけられていたのである。
【ちゅうすけ注】〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)が、銕三郎(てつさぶろう 23歳)の問い、
「『軍鑑』からなにを学ばれましたか?」
に、即座に、
「一つは、将たるものの器量、一つは、働きに対する褒章の公平。一つは、人の強弱、重軽、信不信の見分け方、一つは、10戦ったら、勝ちは3っでも多すぎる。要は負けないこと」
と応じた、「働きに対する褒章の公平」が、これにあたてるのかも。
【参照】[『甲陽軍鑑』 (1)
5.源信玄公は、物頭(ものがしら)を仰せつけた人に、一ッことをいく度もお尋ねになった。つねづね、なんについても、くどいぼと念をいれてお問い質(ただ)しになるのは、お館ではもちろん、ご普請場、あるいは配下の衆の親・兄弟の健康についても、いろいろとご質問になるのが、癖---というのは、それに及ばない者の負け惜しみであろう。
信玄公は、そうなさることで、その者の考えていることを聞きだしておられたのであり、また、親への孝行に意をつくしているかどうかを観じておられたのである。
とりわけ、役付の者---20人衆頭、・中間頭、小人頭までにも、そのようであったが、実は、その人物の知力、実の有無、忠・不忠のこころ、強弱、肌あい---などの各人各様の気質を、ご自分の目でたしかめておられたといえよう。
(おれは、まだ、お竜に及ばないところがある---)
銕三郎が、そう感じていたのを、お竜は観じとり、
(このおのこ(男)は、うまく育てば、とてつもない大器になる、見とどけたいものだ)
下腹のあたりが、熱くなっていた。
男に対して感じた、初めての経験であったから、お竜は、内心、あわてた。
しかし、表情にはださず、双眸の奥を光らせただけであった。
| 固定リンク
「219参考図書」カテゴリの記事
- 『孫子 用間篇』(2008.10.01)
- [御所役人に働きかける女スパイ] (2)(2009.09.21)
- 徳川将軍政治権力の研究(9)(2007.08.25)
- 『甲陽軍鑑』(2)(2008.11.02)
- 『翁草』 鳶魚翁のネタ本?(2009.09.24)
コメント