初お目見が済んで(3)
「ご奏者番(そうじゃばん)には、どなたがお付きになりましたかな?」
大橋与惣兵衛親英(ちかひで 55歳 200俵 西丸・新番与頭(くみがしら)))に酌をしたとき、お義理のように訊かれた。
(てつさぶろう 23歳 のちの銕三郎鬼平)は、背中に久栄(ひさえ 16歳)の視線を痛いほどに感じながら、
「久世(くぜ)出雲守(広明 ひろあきら 38歳 下総・関宿藩主 5万8000石)侯でございました」
「おお。久世侯なれば、口跡(こうぜき)さわやかでありましたろう」
「はい。白書院へそろいましたおり、拙と曽我(主水助造(すけより))どのにお声がかかりました」
〔助造〕の造には竹カンムリがついている)
「なんと?」
「諱(な)は、〔のぶため〕と読み上げればいいのじゃな---と」
殿中の礼式をつかさどる奏者番は、譜代大名の若手の中から選抜される。
うちから4人が寺社奉行を兼ねる。
初見(しょけん)披露では、初見参の全員の姓名を読み上げて、将軍の耳へとどける。
銕三郎のばあいだと、
「先手組頭・長谷川平蔵宣雄(のぶお)が継嗣・銕三郎宣以(のぶため)」
と告げられる。
与惣兵衛親英は、
「ほう。銕三郎どのの諱(いみな)は〔のぶため〕とお読みするのでしたか」
ちょっと驚いてみせた。
宣雄が笑いながら、
「古書に、〔子以吾銘 子、吾がために銘す)〕とあるのございますよ」
隣から、本家の当主・太郎兵衛正直(まさなお・59歳 1450石 先手・弓の7番手組頭)が、
「宣雄どのは学があるゆえ、読み方の中でも、もっとも少ない〔ため〕とおつけになったのですよ。ふつうなら〔もち〕〔これ}ですがな」
「久世侯は、拙の〔のぶため〕より、曽我どのの助造(竹カンムリつき)のほうに首をかしけげておられました」
銕三郎が、ちくりと本家の内室の縁者を刺す。
太郎兵衛正直は、笑いとばした。
和気藹藹(あいあい)が、奉状集まりのきまりである。
銕三郎が末座につくられている自分の座へ戻ると、久栄が案じ顔で、
「父が何か礼を失したことを申しあげましたか?」
「いや。なんでもありませぬ。ご安堵(あんど)を---」
「それならいいのですが。見境がないので困ります」
(久世備前守広明の[個人譜])
このとき---明和5年12月5日現在の奏者番には、15名が在職していた。
こういうことは、どこにも記されていないから、こころおぼえのために氏名をあげておく(8時間の作業であった)
土井大炊頭利里(としさと 47歳)
下総・古河藩主 16万石 兼・寺社奉行
土屋能登守篤直(あつなお 37歳)
常陸・土浦藩主 9万5000石
久世出雲守広明(ひろあきら 38歳)
下総・関宿藩主 5万8000石
大岡兵庫頭忠喜(ただよし 32歳)
武蔵・岩槻藩主 2万石
松平能登守乗薀(のりもり 53歳)
美濃・岩村藩主 2万石
松平伊賀守忠順(ただより 43歳)
信濃・上田藩主 5万8000石 兼・寺社奉行
土岐美濃守定経(さだつね 41歳)
上野・沼田藩主 3万5000石 兼・寺社奉行
仙石越前守政辰(まさとき 47歳)
但馬・出石藩主 5万8000石
戸田大炊頭忠言(ただとき 42歳)
下野・足利藩主 1万1000石
西尾主水正忠需(ただみつ 53歳)
遠江・横須賀藩主 3万5000石
増山対馬守正孝(まさたか 43歳)
伊勢・長島藩主 2万石
松平丹波守光和
(不明)
遠藤備前守胤将(まさのぶ 57歳)
近江・三上藩主 1万2000石
太田備後守資愛(すけよし 29歳)
遠江・掛川藩主 5万石 兼・寺社奉行
牧野豊前守惟成(これなり 41歳)
丹後・田辺藩主 3万5000石
【ちゅうすけのつぶやき】14もの藩の前途有望の殿さまの名をあげたのだから、藩内の鬼平ファンの方から、「おらが国さの殿さまは---」と、コメントがあるとありがたいし、にぎやかになりますなあ。
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コメント
こちらはご無沙汰にござりまする。
私どもは九州は島原の出でございますから、
旧主はこの一覧には入りようがないので
ございまする…
残念です。
投稿: えいねん | 2008.12.21 11:48
>えいねん さん
確かに、島原藩からは、若年寄も老中もでていませんね。
しかし、4万石、7万石級の藩主がいたわけで、奏者番のご藩主はいたかも。
これから調べてみます。
投稿: ちゅうすけ | 2008.12.21 18:50