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2009.02.21

隣家・松田彦兵衛貞居(5)

「父上。ご高察いただきたきことがございます」
銕三郎(てつさぶろう 24歳)が、父・平蔵宣雄(のぶお 51歳)に進言した。
「なにかの?」
宣雄は、番方(武官系)の最上位格ともいえる、先手・弓の8番手の組頭に、4年前から就いている。
8番手は、与力5騎、同心30人。
組屋敷は、市ヶ谷本村町---尾張藩の広大な藩邸の向かいである。

「父上が、火盗改メに任じられますと、三ノ橋通りのこの屋敷が役宅となります」
「組頭の家が役宅となるのは、とうぜんのことじゃ」
「組の人たちは、ここへ通うことになります」
「あたりまえじゃ。なにが言いたい?」

隣家の火盗改メのお頭・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150 鉄砲(つつ)の2番手・組頭)のところで新妻・久栄(ひさえ 17歳)が訊いてきたところでは、組屋敷から遠いために、雨の日などはことのほか病欠者が多いことを延べ、
「父上の組の組屋敷からここまで、片道だけで1万232歩、1里と20丁(約6km強)あります」
「測ったのか?」
「はい」

1里20丁といえば、日本橋から品川宿の手前の高輪あたり。
中山道だと板橋宿の手前の巣鴨庚申塚あたり。
甲州街道なら、四谷の先、新宿の手前。

「大儀であったな。それで?」
「父上が火盗改メを拝領されましたときには、組の者が全員がそろってここへ通ってこなくていいように、組屋敷から2,30丁のあちこちに支所を設けておけば、欠勤する者はあるまいと愚考いたしました」

「支所---辻番所を借りるわけにはいくまい」
「寺に話をつけるのです。寺なら、いたるところにあります」
「ふーむ。しかし、わが組は、与力が5騎---ふつうの組の半分じゃ」
「隣家の松田どのの組も5騎です」
「それはそのとおりじゃが---」
「同心衆は、ほかの組同様、30名おります。しかも、火盗改メに下命されると、ご家人衆から10名ほどは補充できると聞いております。ご高察いただきたいのは、そこ、でございます。いまから父上の組の同心衆の中から、4、5人、与力なみの仕事ができる者を練成して、支所の与頭(くみがしら)心得に仕立てるのです」

「言うはたやすいが、俸禄が同じままでは、納得すまい」
「いえ。人間は、俸禄だけで動くとはかぎりませぬ。まかしてやれば、肩書で働く者もおりましょう」
「かんがえておこう。ご苦労であった」

宣雄が火盗改メに任じられたのは、このときから2年後の明和8年(1771)10月17日であった。
このときの発令は、助役(すけやく)で、本役には中野監物清方(きよかた 49歳 300石)がいた。

銕三郎の案は、このときには採用されなかったが、中野清方が任期中に病没したので、宣雄がそのまま本役によこすべりしたときに用いられて大手柄につながったが、これは、これから3年先の話である。

参照】2007年9月13日[『よしの冊子』] (12

参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () 

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