同心・加賀美千蔵(3)
賀茂川の手前に、いつかのとおり、その店はあった。
〔荒神屋〕と書いた看板もそのままである。
【参照】2009年7月26日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (7)
刺し子をしていた店番の中年おんなも、まるで蝋人形のようにそのままの姿でいた。
ずいっと入っていった加賀美千蔵(せんぞう 30歳)同心が、
「亭主を呼べ」
おんなは、刺し子から目をはなさないで、
「きょうは、いてまへん」
「どこへ行った? 帰りは?」
「聞ィてェ、しまへん」
加賀美同心が、おんなの腕を打ち、
「こっちを見て、答えろ。きのうのうちに、きょう、来ることを報せておいたはずだ」
「そんなん、うち、聞ィてやおへん」
おんなは動じない。
「亭主が帰ってきたら、きょうのうちに、奉行所に出頭するように伝えろ。きっとだぞ」
「へェ」
加賀美同心は、銕三郎(てつさぶろう 27歳)を、丸太橋西詰の茶店に導き、茶をすすりながら、助太郎から〔荒神屋〕の屋号も店の品も居抜きで、買ったのが丑三(うしぞう)という中年男だと告げた。
20日ばかり前に会った中年の、大福餅のような丸顔で、人のよさそうな店主をおもいだしていた。
「いつ、店を買ったと言ってましたか?」
「所司代のご与力から、うちのお奉行に話がきてすぐだったから、7年前(明和2年 1765)の---」
加賀美同心は、初夏---4月の晦日近くだったようにおぼえていると。
【参照】2008年3月23日[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] (8)
(出仕をするということは、記憶を研ぎすますということらしいな)
加賀美千蔵からも、銕三郎は一つまなんだ。
(まてよ。お竜(りょう 31歳=当時)から〔盗人酒屋〕あてに文をもらったのは、2年前(明和7年=770) だった。名古屋で助太郎と身重の賀茂(かも 30すぎ)らしいのを見かけたと書いてあった。賀茂は、前の女の子を悪い風邪で亡くしているとも報じてあった。
賀茂がややを産み、育てるとしたら、1年ほどは旅はできないfず。どこかに定着して育てているに違いない)
【参照】200年4月30日[お竜(りょう)からの手紙] (1) (2) (3)
「加賀美どの。さきほど、〔荒神屋〕の奥で、子どもがぐずる声かしませぬでしたか?」
「さて、気がつきませなんだ」
「松造。あの店の裏手へまわって、しばらく、耳をすませてこい」
加賀美同心についていた小者が、
「近所で、それとのう、訊きこんできまひょ」
出ていった。
【ちゅうすけ注】〔荒神(こうじん)〕のお夏が、長編[炎の色]に登場したときは25,6歳---とすると、安永元年(1772)の年11月のこの時期、2歳に育っていないと辻褄(つじつま)があわなくなる。
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