高杉銀平師の死
「高杉先生が正月3日に亡くなりました。
葬儀は、門下一同で、春慶寺にて簡単にすませました。
遺骨は、縁者のことをお打ちあけにならないので、臼井へ持ち帰り、わが家の墓域の隣にささやかな墓をつくり、祀ることにしました。
先生のおられない江戸にとどまっていても詮(せん)ないので、臼井で兄に小さな道場でも開いてもらうつもりです。
そうえば、先生がお逝きになる前の日に、「銕(てつ)に、くれぐれも申し送れ」とおっしゃったことがあります。
「3歩、退(ひ)け。1歩出よ」
「銕は、これだけでわかる」
と。
修行、怠りなくおつとめのほどを---。
剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 28歳)からの飛脚便てあった。
「3歩、退(ひ)け。1歩出よ」
の行まできて、押さえきれなくなった銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、嗚咽を殺して泣いた。
辰蔵(たつぞう 4歳)が、
「母上---」
久栄(ひさえ 21歳)を呼びに走ったが、文を見て事態をしった久栄は、辰蔵の手を引き、静かに部屋をでていった。
銕三郎が銀平師から「3歩、退(ひ)け。1歩出よ」と最初に聞いたのは、初お目見(みえ)の祝辞のあと、
「長谷川は、幕臣と定まった。剣客ではない。3歩、退(ひ)け。1歩出よ---を餞(はなむけ)として贈るゆえ、受けてくれ」
銕三郎の気性を知りつくしている師の、こころからの処世訓であった。
(先生。せめて、拙が江戸へ戻るまで、どうしてお待ちくださらなかったのですか。無念です。京における銕三郎は、つねに3歩、退(ひ)いておるつもりです。もし、退き方がたりないとお感じになったら、どうぞ、あの世から木刀で撃ってください)
いつまでも、自分に言いきかせていた。
父・備中守宣雄(のぶお 55歳)が表の役所からさがってきたとき、
「江戸へ、いえ、下総・印旛沼の臼井まで行ってきてもよろしいでしょうか?」
じろりと銕三郎を見、
「なにをしに行くのじゃ」
「先生にお別れを申しに---」
「無駄じゃ。京へのぼるときに、お別れをしたはず。会うことは、別れのはじまり。生まれたことは、死へ向かっての歩みはじめていること---と心得よ」
「しかし---」
「先生は、お望みではあるまい。お心を察せよ」
あとは、無言のまま瞶(みつめ)ていたが、銕三郎が一礼して立ちかけると、
「銕(てつ)。そなたが〔読みうり〕で得た金は、いかほどのこっておる?」
「8両(128万円)と2朱(2万円)ばかり---」
「2両(32万円)はわれが出す。10両(160万円)にして、墓標のたしにと、左馬之助どのへ、明日にでも送金してやれ」
「遺漏なく---」
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