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2010.04.05

お里貴の行水

「お湯かげんは、これでよろしいでしょうか?」
裏庭から、里貴(りき 30歳)の声がかかった。

縁側のすぐ下から行水の大たらいまで細板の簀子(すのこ)を敷きつめ、手桶をかたわらに置き、裾をまくった浴衣姿でこちらをみていた。
簀子におり、手首をひたす。

「まだ、着替えていらっしゃらなかったのですか。お湯がさめてしまいますから、お急ぎくださいませ」
脊を押され、寝間で浴衣に着替えた。

縁側へ戻ると、素裸の里貴が、灯火もほとんどとどかないのに、はっきり白いとわかる脊をむけていた。
気配にふり向いた顔は、いたずらっ子がいたずらにとりかかる前のような笑顔であった。
つられて、平蔵里貴の浴衣の横へ脱いだが、
「お腰のあてのものは、寝間へお置きになっては?」
あわてて、寝間ではずした。

盥に腰をおろしても、湯はあふれなかった。
延ばしきれないから、軽くまげた。
「いっしょには浴びないのか?」
「底が抜けてしまいます」
「やってみれば?」

おそるおそるまたぎ、両足とも立て膝にして腰をおろし、正面した。
平蔵も膝を曲げているので、尻がすべりおち、下腹が密着した。
腕をまわして引きよせ、耳もとでささやいた。
里貴と、こんなふうに行水するとは、おもってもみなかった」
平蔵の両肩に手をおき、乳頭がかすかに触れるほどのへだたりをとっている里貴も、低いあまえ声で、
「育った貴志村では、初夏から秋へかけては行水でした。でも、藪家へ嫁いでからは、行水をしたことはございません」
「盥や簀子を、いつ、揃えた?」
「この家へ越してすぐに、貴志村での家でのことをおもいだしまして---」

庭のぐるりに視線をはしらせ、
「覗かれる心配は?」
「節目のない板に取り替えましたし、きのうも棟梁にしらべさせました」
浮かせかけた腰をつかんで引きおろし、尻を太股におちつかせた。
茂みと茂みが触れあい、湯のさざめきにより、からみあったり離れたり---。

「背中をお流ししましょう」
「いいのだ。きのう、流した」
「奥方さま?」
それには応えず、
「拙が里貴の脊中をこすってやるよ」
「うれしい。あ、感じた」
尻をあげ、あてた。
そのまま、もたれかかる。
乳房が胸板を押す。

両掌でつかみ、動けなくする。
「寝屋でな」
「はい---あ、動いています」
「門を叩いて、名乗っているのだよ」
「なんと?」
(てつ)だと---」

「なりませぬ。夜あそびしてきて子はいれませぬ」
「夜稽古が長びた」
「なんのお稽古?」
「色の道」
「馬鹿ばっかり」
声をそろえて笑った。

「こんなに楽しい行水、初めて---」
「拙も---」

_360
(国貞『仇討湯尾峠孫杓子』 写し:ちゅうすけ)

たらいから簀子へ移り、平蔵の背中の水気を拭く。
平蔵は、その手から手拭をとり、里貴の前を拭いた。
乳房を拭くと、血が通ったように肌が淡い桜色になった。
「もう、だめ。立っていられません」
駆けあが り、横に倒れた。

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コメント

わあ、なつかしい。内風呂ができてからも、夏には、庭での行水をせがんだものでした。3歳か4歳の、恥ずかしさを感じない年頃でしたから。
いまなら、イケメンの男性とやってみたいような。

投稿: tsuuko | 2010.04.05 06:27

東京では、木製の大盥は、まったく目にしなくなりましたね。
昔は産湯からお棺に入る前の最後の沐浴まで盥のご厄介になりました。
ゆりかごからお棺まで---というより、盥から盥へでした。
しかし、最近の若い人たちはイケメンでも栄養がいいから、底が大丈夫かなあ。
プラスチック製の盥ではロマンチックでないでしょう?

ばか、言ってる>自分

投稿: ちゅうすけ | 2010.04.05 08:36

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