〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂(3)
江府の東西南北、9つの盛り場の元締とその小頭の集まりの席になったということで、料亭〔草加屋〕でのお粂(くめ 35歳)の格は一挙にあがった。
とりわけ、地元の元締・〔薬研堀(やげんぼり)〕の為右衛門(ためえもん 60歳)が、〔草加屋〕の安兵衛(やすべえ 48歳)・お新(しん 33歳)夫婦に、頭をさげたことが大きかった。
「わしが世話になっている長谷川さまご贔屓の、お粂どんをよろしゅうにな」
これで、為右衛門一家からの厄難はないということであった。
(薬研堀 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
耳より〕の紋次(もんじ 33歳)が同席していたことにも意味があった。
悪い風聞を刷られる前に耳に入れてもらいやすくなった。
いい風聞を書かれるのも店の益になることもあるが、それが元で同業者の妬みを買い、針小棒大の噂をばらまかれることのほうが、商売人には怖かった。
とりわけ、飲食を商売をしている者には。
厠(かわや)から出た料理人が手を清めないという風評をたてられて店を閉める羽目になった料亭が、過去にあった。
20人をこえた客の応対を、お粂は10人からの仲居と料理場をたくみにさばいたので、手じめ役の〔薬研堀〕の為右衛門が、
「この次の集まりも、ここにいたしやしょう」
と締めた。
玄関をでたとき、供をしていた松造(まつぞう 25歳)に、お通(つう 9歳)たちのところへ早く帰ってやれと、解放した。
それを、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 44歳)がほほえましげに見ていた。
同じ方角へ帰る権七(ごんしち 44歳)、元締代理・{丸太橋(まるたばし)〕の雄太(ゆうた 42歳)、供の若い者頭・千吉(せんきち 29歳)と連れ立って両国橋を東へわたりながら、
「松造が、お粂のことをいいおんなと惚気(のろけ)たが、いいおんなというのは、どういうのをいうのかな?」
平蔵(へいぞう 31歳)が問いかけた。
「男にとってのおんなの躰でいうと、卯(う)年の9月生まれはこたえられねえ---って、むかしからいいやす。卯(う)年生まれということでは、今年6歳、18歳、30歳、42歳---まあ、54歳でなにが好きってのはお化けでやしょう」
雄太が笑いながら齢をあげた。
「6歳、18歳、30歳、42歳か。縁がありやせんな」
権七は、さっさと降りた。
【ちゅうすけ注】「卯(う)年の9月生まれのおんなのからだはこたえられねえ」とあるのは、『鬼平犯科帳』文庫巻1[座頭と猿]p224 新装版p237
熱心な鬼平ファンであるM氏から、この言い伝えの出展を問われたが、答えられなかった。
ご存じの方にご教示いただきたい。
「いや、女躰(にょたい)の話でなく、気質(きだて)のことだが---」
平蔵に、権七が応じた。
「今夜のお粂さんを見ていておもったのでやすが、柔らかく包みこむような物腰でいて、筋をまちがえねえところに、松造さんは惚れなさったんでやしょう。どういう育ちなんでやす、松造さんは?」
「いや、育ちまでは知らないが、多摩郡(たまこおり)の甲州道中ぞいの烏山村の小作人の家の生まれと聞いている。母親のことしか話さなかったから、父親は早くに亡じたのかもな」
前身が掏摸(すり)だったことは、聞き手が権七でも洩らすつもりはなかった。
足を洗って7年にもなっていた。
【参照】2009年9月8日~[〔中畑(なかばたけ)のお竜] (2) (3) (4)
2009年6月8日[〔からす山〕の寅松]
「さいでやすか。それで、暖かく包んでくれるおふくろのようなお粂さんに惹(ひ)かれなさったんでやしょう」
「2人の子どもたちも、なついているようだ」
「いい義父(てて)ごにおなりになりやすよ」
【参照】2010,年6月27日~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] (1) (2) (4)
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