安永6年(1777)の平蔵宣以(3)
(数いる使番の中から、お上・(家治 いえはる)の日光山ご参詣のときに目付に選ばれたのも、参列された老中・首座の(松平)右近将監(武元 たけちか 65歳 上野国館林藩主 6万1000石)さまの意向に、若年寄衆がそったのであろう)
平蔵(へいぞう 32歳)は、待っているあいだ、襖絵の松樹に目をやりながら、この屋敷の主(あるじ)の土屋帯刀守直(もりなお 44歳 1000石)と閣僚たちのあいだからにおもいをはせていた。
高遠(たかとう)筆頭与力(58歳)が招じにきた。
「やっと、お身がおあきになりました」
案内されたのは、中庭に面した書院であった。
驚いたのは、小さな白洲に、それでも茣蓙が敷かれ、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 51歳)を先頭に、元締たちがひかえていたことであった。
【参照】火盗改メ・役宅の白洲 2008年2月18日~[本多采女紀品(のりただ)] (7)
平蔵が控えの間にいたあいだ、元締たちは急ごしらえで炭火もない内腰掛け所で待たされていたに違いない。
高遠与力たちからみると、香具師(やし)というのは、まともな町人ではないということであろう。
付きそってきているはずの小頭たちは、外腰掛けに待機を命じられているのか、白洲にはいなかった。
(このあたりの気くばりが、弓の2番手の館(たち)さんや脇屋与力とちがうところだ)
高遠筆頭与力の横に、平蔵の席がつしらえられていた。
〔音羽〕の重右衛門をはじめ、〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 30歳)、(〔般若(はんにゃ)〕の猪兵衛(ゐへえ 30歳)、〔愛宕下(あたごした)〕の伸造(しんぞう 47歳)といった、とりわけ親しくしていた元締衆が目礼のあいさつをおくってきた。
平蔵も、気づかれないように、まばたきで返した。
組頭・土屋帯刀守直があらわれた。
前もって申しわたされていた元締衆が平伏した。
44歳の帯刀守直は、眉毛が太く、鼻の高い、意思の強そうな面体をしていた。
「殿からお言葉がある」
同心筆頭・村田吉五郎(きちごろう 52歳)がおもおもしく口をきった。
「世話になる。お上のために、これまでと変わりなく、助(す)けてもらいたい」
口上は、それだけであった。
が、声は、使番に選ばれていただけあり、低いが澄んでよく透る、歌舞伎役者のような口跡であった。
あとは、村田筆頭同心が、順に住まっている町名と通称を呼びあげ、ひとりずつ進みで、高遠筆頭与力から「土屋帯刀守直」という署名と花押を筆書きした手札を拝領し、もとの茣蓙席へ戻った。
おもいがけなく、高遠筆頭がうながした。
「夜廻りをご発案の、長谷川どのからも、ひと言---」
平蔵は、苦笑でごまかしながら、
「土屋のお頭さまのご期待にそむかぬよう---。とりわけ、〔花園(はなぞの)〕の肥田飛(ひだとび 32歳)の元締どの、ご承知のこととはおもいますが、こちらの組のお歴々の組屋敷は関口・角筈(つのはず)です。お歴々の屋敷へ押しいる頓馬な賊はあるまいとおもうが、精ぜい、気をくばっていただきたい」
元締衆の席から笑い声がおきた。
とりわけ、名指しされた〔花園〕の肥田飛の満足げな笑声が大きかった。
一瞬にしてやわらいだ雰囲気につられたように、
「組屋敷ばかりではない。余のこの屋敷を見廻ってくれるのは---?」
即座に、平蔵がそえた。
「〔音羽〕の重右衛門どの、です」
「おお。重右衛門どの。よろしく頼みますぞ」
平伏した重右衛門の肩がふるえていた。
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コメント
平蔵さんの気遣いというのか、気くばりというのか、たいへんなものですね。
生来のものか、自分でしつけたものか。
たぶん、後者でしょう。
海千山千の香具師の元締衆がついていくのですね。
火盗改めになってからは密偵たちが。
投稿: tsuko | 2010.08.08 05:38