浅野家の妹・喜和(2)
「猪兵衛(ゐへえ)どん。このこと---」
「へえ---」
「しばらく、静視しておいてもらえまいか?」
平蔵(へいぞう 35歳)の双眸(りょうめ)の奥をのぞきこんだ〔般若(はんにゃ)〕の猪兵衛(ゐへえ 33歳)は、真意を察したらしい。
「浅野のお殿さまへもお報らせしねぇということでやすね」
「そう、願いたい」
「わかりやした。そういうことにいたしやしょう」
猪兵衛が莞爾とほころばせた。
「男とおんなの関係は、夫婦でないかぎり、よい思い出になるかそうでないかはわからぬが、いつかは熱が醒(さ)めよう。無理に冷まそうとすると、寝ざめの悪い結果になりがちだ---」
「むたいもないことをお耳にいれやした---、お許しを---」
「いや。かたじけなかった。大(学 だいがく 浅野長貞 ながさだ 34歳 500石)に代わり、お礼を申す。喜多郎とやらも、見守ってやってくれ」
「誓って、そのように、いたしやす」
帰路、筋違橋のたもとで舟に乗り、藤ノ棚へ寄った。
舟の、「上野御山下」「あは雪 御奈良茶所」「浜田屋」と記した洞(ぼんぼり)の灯が、水面(みずも)に揺れていた。
(〔浜田屋〕あは雪なら茶所)
「船頭さん。そこの雪洞の口が:け人は---?」
「え? へえ。〔般若〕の元締のところの、喜多郎っていい若い衆で---」
「いい若い者(の)---?」
「へえ。齢はまだ20歳(はたち)めぇ---ってことですが、なにしろ、気風(きっぷ)がいいんで---ありゃあ、もうすぐ、小頭ですぜ」
「そうかい。そんなに気風がいいかい---」
亀久橋下の舟着きで降りしなに、こころづけをはずみ、
(馬鹿みたいに、大(だい)に肩入れしてしまった)
戸を叩くと、里貴(りき 36歳)がすぐに立ってきた。
ふつうの寝衣だったのを、新しい腰丈のに着替えた。
「また、つくったな」
「やはり、銕(てつ)さまのおいいつけどおり、尾張町角の恵比寿屋さんにしました」
「真っ黒のでは、雀がおどろかないだろうって、不思議がられなかったか?」
「そういわれてみると、若い手代が妙な顔をしていました」
里貴は、案山子(かがし)に着せるのを口実にしていた。
黒衣だと、白く透明にもみえる肌がいっそう引き立つと考えたうえでの黒であった。
自分の美質をより主張するのは、おんなの天性のようなものかもしれない。
【参照】2010年5月18そ日[浅野大学貞長の憂鬱] (2) (3)
真っ黒のだと、里貴の白い肌がよけいに白くうきあがった。
立て膝の奥の芝生も淡いのが目立ち、気分を刺激した。
『医心方 第二十八 房内篇』で折り紙がついた、好女(寝間でのいいおんな)の資格の一つであった。
【参照】2010年12月21日[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (5)
於喜和(きわ 30歳)と喜多郎の顛末は話さなかった。
里貴が齢上とはいえ、1歳しか違わないし、藤ノ棚では、里貴は妹のつもりで甘えている。
11歳も違う男とおんなのあいだがらを、里貴に想像させてはいけない。
ましてや、夫婦でない男とおんなの間には、いずれ終焉がくるなどと悟ったようなことを、里貴の耳に入れることはない。
先のことはともかく、いまは、ずっとつづくつもりでいる平蔵でもあった。
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コメント
平蔵さんのように理解の広い---柔軟なといったほうがいいのかな---世間の嫉妬まじりの悪評にくみしないものの見方をする人に見守られた於喜和さんは、人生のいいいっときをおすごしになるでしょう。
たとえ、世間から指さされても、平蔵さんが壁になってあげましょう。
投稿: tomo | 2010.12.30 06:22
里貴さんが特注なさっている腰丈の寝衣は、けっして珍奇なものではありません。法被丈と書けば、ふつうに受け取られます。あるいは肌襦袢丈。
欧米ではベビー・ドール丈。
日本には昔からあったものです。それを寝衣として注文したところが、里貴さんの聡明なところ。
しかも、自分の肌が白く、平蔵が訪れた日の寝間は灯明の芯をあげるのだから、黒い寝衣と白い姿態が絶妙でしょう。
投稿: yotarou | 2010.12.30 06:37
>tomo さん
於喜和は、武家育ちのおんなとしては少々はずれたところがありますが、いま睦んでいるのは独り者の、齢下の男です。
於喜和も後家ですから、別にとやかくいう筋合いのものではありません。みんなで静かに、成り行きを見守っているのがいちばんいい方法だと、おもいます。平蔵の処置は間違ってはいません。
ただ、こころすべきは、喜多郎が於喜和から離れ、一家を立てる時に騒動がおこさないように。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.30 07:41
>yotqrou さん
たしかに、おっしゃるとおり、肌襦袢を木綿か絹の色地にしたとおもえばいいのですね。
いや、肌に優しく、吸汗性が高く、皺になっても洗えば元へもどる肌襦袢を好みの色に染めたほうが実用的でもありますね。
でも、閨房では心理的、情緒的なもののほうが優先しますから、やはり、そのときよう誂えたということで、平蔵も里貴のこころ根をよろこんでいるのではないでしょうか。
いや、ご教示には感銘しました。
とくにベビー・ドール衣---欧米人も相手の女性に童女性を求めているんですね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.30 07:53