お通の恋
「松造(よしぞう 35歳)。心配ごとでもあるのか。浮かぬ顔をしておるぞ」
天明5年(1785)3月16日、幼君・家斉(いえなり 13歳)の王子近辺への遊行があり、平蔵(へいぞう 40歳)が組頭をしている西丸・徒(かち)の3の組は、駒込から飛鳥山までの半里(2km)ほどの辻々を徒士たちが警備し、役目をはたした。
月魄(つきしろ)で先まわりしての配備の手くばりにあわただしかった平蔵に、駆け足でしたがった供の家士たちと口とりのねぎらいの宴を、〔五鉄〕でもった。
おのおのを先に返し、松造に新しい銚子を頼み、注いでやりながら問うた。
「はい。うちのことでして---」
「お粂(くめ 45歳)が身ごもったか?」
苦笑した松造が首をふり、
「お通(つう 18歳)に惚れた男ができたらしいのです」
お通は、お粂の連れ子である。
御厩河岸の渡し場の前で、母親とともに〔三文(さんもん)茶亭〕を切りもりしているというか、看板むすめとして8年ほどやってきていた。
【参照】20101012~[〔三文(さんもん)茶亭〕のお粂(くめ)] (1) (2) (3)
店にでたころは10歳だったから、可愛いという風情であったが、白粉問屋〔福田屋〕で化粧(けわい)指南師をしているお勝(かつ 43歳)が自分のむすめのように入念に手入れしてやっているので、齢ごろの艶っ気も加わり、人目を引くばかりになっていた。
「18歳だからまだまだねんねとおもっておりましたが---」
母親のお粂にいわせると、むすめが18にもなって思いおもわれる男ができないようでは一人前のおんなではない、躰の芯から男がほしくてほしくてじっとしてられないが、いざ、身をまかすかとなると文字通り腰が引けるものだから、見守っていればいいのだそうだが、
「なさぬ仲の手前としては、あぶなっかしくて、もったいなくて---」
「もったいないって、松造が婿になれるわけでもあるまいに--」
「それはそうでございますが、あんな男にむざむざ---」
「あんな男とは---?」
「渋塗り職で、22歳になる弘二(こうじ)って青二才です」
「松造。職人で22歳といえば、りっぱに一本立ちであろう」
お通が弘二と知りあったのは、去年の晩秋だという。
御厩渡しで対岸の石原町の家へ帰る渡舟を待つあいだに〔三文茶亭〕でひと息入れ、よほどに喉がかわいていたのか、お代わりを2杯し、勘定という段に、お通が、
「3文(120円)です---」
「そりゃあおかしい。お代わりを2度もしてもらってる」
9文(360円)を置こうとしたので、6文を中にお通ともみあいになった。
手と手が触れあった。
その時、お通の心の臓に衝撃が走った。
けっきょく、3文ですましたが、翌日、終い舟の前にやってき、表戸8枚を煮沸した灰汁(はいじる)での灰汁洗(あくあら)いからはじめた。
灰汁の熱沸は、弘二の指示でお通がまめまめしく鍋や火の番をした。
乾いた板戸から色味の薄い生渋(きしぶ)を塗った。
1刻(2時間)後、茶代の返礼だと笑った。
双頬にできたえくぼに、お通はころりと参った。
渡し舟があがってしまっていたから、対岸の石原町の家まで生渋と黒渋を入れた2ヶの小桶を両天秤で担いで大川橋をわたるのもおっくうだから、朝まで預かってくれといわれ、お通は承知した。
迎えにきたお粂が、
「夕餉(ゆうげ)の用意ができているから、食べていきなよ」
食事のあいまに聞きだすと、母一人子一人、渋塗り職だった父親は3年前に亡じ、その得意先を引き継いでやっているのだと。
酒も呑(や)らず、寝たり起きたりの母親を看ていることもわかった。
松造は、始終むっつりと、やりとりを聴きながら呑んでいるだけであった。
干物を持たせて帰したが、翌朝、
「弘二さんが桶をとりに見えるから---」
お通は六ッ(午前6時)には銭湯へゆき、朝飯もそこそこに店へでようとしたので、お粂が、
「男を待たせるほどにあつかわないと、軽いおんなに見られるから、じっくりお構え---」
「そういうお粂は、松造の布団にもぐりこんできたのであろう。は、ははは」
「殿。30過ぎて後家を立てていたお粂と、未通のおぼこむすめとを、いっしょになさらないでください」
「お通の肩をもつことよ」
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コメント
お通さんて、もう18なんですね。
お粂さんの「娘が18にもなって思いおもわれる男ができないようでは一人前ではない」って意見、賛成。いまの女性は15前後でそうでしょう。もっとも「躰の芯から男がほしくてほしくてじっとしてられない」って生臭い体感を覚えるのはやはり17あたりかな。わたしは晩生ってひやかされましたが。
でも、お通さんのようなキャラが登場することでこのブログ、女性ファンがふえることでしょう。
投稿: mine | 2011.11.13 05:15
>mine さん
女性の方からはお叱りを受けるようなことを書いているとはおもってはいます。しかし、『寛政譜』などを詳細に読んでいますと、江戸時代の武士階級は性的にはずいぶんおおらかであったようにおもいます。
厳しくなったのは、定信の6年間ではないでしょうか。
このブログは、平蔵のヰタ・セクスアリスと何回も宣言しています。人間の本性をさぐっているつもりなんですが。
どうぞ、女性側からのご批判をお寄せください。
投稿: ちゅうすけ | 2011.11.13 18:44